昨日帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。ロアルド・ダール『アッホ夫婦』評論社2005年初版帯付、ロイ・ヴィカース『百万に一つの偶然』ハヤカワ文庫2003年初版、計210円。
昨晩も雨。晴れた今朝は日陰に水溜り。明るい冬空。
ウェブサイトでエミリ・ディキンソンの詩の翻訳についての書き込みを読んで、文学作品の翻訳の難しさをあらためて実感。岩波文庫には原詩と訳詩が対応しているものがあるけれど、対照しても門外漢にはどれだけ深く鑑賞できるか。平明にして含蓄ある語句の背後をどこまで深く測量できるだろう。
小泉喜美子『ブルネットに銀の簪(かんざし)』早川書房1986年、「背伸びした理屈より楽しい会話術を!」から映画『カサブランカ』の男女の会話。
《 「十年前、きみはなにをしていた?」
「歯並びを直していたわ。あなたは?」
「職をさがしていた。」 》
《 外国では良縁の子女は成人前に必ず歯にブリッジをかけて歯列をととのえてから社会人としてデビューするので、それを指したもの。つまり、まだ成人前の少女で恋など知らなかったと匂わせているわけ。 》
外国映画には気のきいた科白が頻出。同じエッセイから。
《 「おれは女房が欲しい。競争相手じゃなく」 》 『アダム氏とマダム』
《 「男も女も同じなのよ」
「ちょっとした差はあるさ。楽しさはその差だ」 》 同
《 「私もあなたが好きだったわ」
「気がつきませんでした」
「女は隠せるのよ」 》 『外国の陰謀』
《 「いいことがある。ぼくたち、結婚しよう」
「もっといいことがあるわ。結婚しないでおきましょう」 》 『ジョルスン物語』
《 とにかく、結婚しようがしまいが人生は野暮に深刻に送るよりは、しゃれて楽しくやるほうずっといい。映画はその良いお手本! 》
ネットの拾いもの。
《 ついうっかり大量に出てしまった歯磨き粉に、「出すぎた真似を!」と叫ぶ朝。 》