「星の降る里」

 『芸術新潮』1994年11月号、特集「今こそ知りたい!洲之内徹 絵のある一生」 で、彼への関心が高まった。連載されていた「気まぐれ美術館」は、面白いことを 書く人だなあ、というほどの関心だったが。この特集で安井曾太郎の素描「少女」 に出合った。そして洲之内徹に出会った。掲載されている文章が心の奥深くに 刻まれた。

《 安井曾太郎の〈少女〉をこんど芦別の会場で見て、こんな美しいデッサン だったのかと、あらためて眼を見張る思いだった。ずっと前から自分の持っている 絵でも、こういう発見がある。しかし、陳列を終り、壁に並んだ絵を見ていて、 これが見納めなんじゃないかなと、ふと思った。 》

 その随筆「星の降る里」を『さらば気まぐれ美術館』新潮社1988年4刷で 何度目かの再読。「星の降る里」を星の古里と読み替える。人生の翳りを感じる とき、彼の文章を読みたくなる……のかも。

 その『芸術新潮』の広告に出光美術館の「スイス、バウアー・コレクション 中国陶磁名品展」。副題「世界初公開・ヨーロッパで最も美しい中国陶磁器」。 謳い文句に嘘はなかった。八十五点の名品に舌を巻いた。……しかし、 北一明の耀変茶碗に比肩するものはない、と自信というか胸を撫で下ろした。 翌年の1995年に大阪へ巡回したこの展覧会は、あの大震災に見舞われ、 幾つかが破損、損壊した。私が惚れ込んだ作品は破損を免れた。胸を撫で下ろした。

 先だって、鉱石好きの女性が北一明の茶入れを60倍のルーペで鑑賞した。 濃紺の宇宙に輝く金色の星星! に魅入っていた。肉眼では濃紺としか見えない 釉薬に一等星のような光が隠れている。焼きものの新しい鑑賞はこれから、だ。 北一明が試行錯誤の実験を科学的に繰り返して実現させた多様な耀変=創造美。 じつに奥が深い。

 朝、源兵衛川の月例清掃へ。水辺の木陰に彼岸花。今年初めて見た。

 晩、友だちに誘われて沼津市民文化センターでの井上陽水の公演へ行く。 この四十年、歌に刻まれた切ない記憶が走馬燈のように去来。休みなしの二時間強。 充実した内容だった。最後は総立ち、盆踊り状態。

 ネットの見聞。

《 安倍首相はオリンピックを招致するために、 フクイチの放射能は完全にコントロールされていると大見得を切りましたが、 放射性汚染水の垂れ流しは今だ制御されていません。 嘘をついたことを謝るべきでしょう。 》 池田清彦

 ネットの拾いもの。

《 まるで飛蚊症のように、目の前をアイディアがちらつくんだけど捕まえられない。  》