『列島祝祭論』九(閑人亭日録)

 安藤礼二『列島祝祭論』作品社2019年初版、「修験」の章を読んだ。凄い熱量。

《 「山伏」は、自らがもつ有限の身体を通して、無限の仏(如来)を、いまこの場に顕現させることを可能にしてくれる。 》 172頁

《 「山伏」たちが身にまとっている「装束」は、宇宙そのものを象徴している。山伏は、「宇宙」を身にまとい、そのことによって、「宇宙」そのものへと変身していく のだ。 》 173頁

《 山伏たちがその背に負う「笈」(「縁笈(ふちおい)」)とその上に置かれる「肩箱」になると、母胎とのアナロジーは、より直接的なものになる。(引用者・略) 「笈」が母の身体であるならば、その上に乗せられた「肩箱」は父の身体である。「笈」と「肩箱」の和合は、母と父の和合を意味する。それは同時に、女性原理を体現する 「胎蔵界」の曼荼羅と男性原理を体現する「金剛界」の曼荼羅の和合でもある。胎蔵界金剛界が和合して宇宙が発生することと、男性の精と女性の卵が和合して生命が 発生することは等しい。山伏たちは、自らの身体を通して、そうした宇宙論にして胎生論を語ってくれている。 》 177頁

《 胎蔵界は「悲」(あるいは「理」)を、金剛界は「智」をあらわすといわれている。しかしながら、二つの曼荼羅は、それぞれの中心に鎮座する太陽の仏たる大日如来 を介して一つのもの、「不二」なるものとしてある。胎蔵界曼荼羅と金剛会の曼荼羅が「不二」であるという、大乗仏教密教的な展開であるとともに修験道の根本とも なった教えは、二つの曼荼羅が同時に、しかも「不二」のものとしてもたらされた、この極東の列島でしか可能にならなかった。 》 185-186頁

《 曼荼羅とは、宇宙を通時的に捉えたものではなく、その生成も消滅も一気に、共時的に捉えたものなのである。曼荼羅とは、反復される度ごとに、そこに差異としての 新しさを産出する、宇宙の子宮にして、思考の母胎なのだ。 》 193頁

《 この地点まできて、列島祝祭論の主題は、新たに、曼荼羅という思考の母胎にして表現の母胎をこの列島に、十全に組織することに成功した、真言密教の大成者たる 空海へと移っていかなければならない。 》 194頁

 ネット、うろうろ。

《 新作ジオラマ完成しました!
  本棚の隙間にひっそりとオープンしている本棚堂書店です。
  小さい本屋ですが探している本がなぜか見つかる不思議なお店です。本棚にこんな本屋さんがあると楽しいですね。 》 依田四十郎
https://twitter.com/yorita3/status/1445738719059722241

《 「成長」を待っていたら

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  給料が上がらなかった 》 つしまようへい
https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1447769634095075332

《 >ほとんど変わらない切符代
  そんなものは保証されたものではないですね。
  流失した水を永年ポンプアップして戻す電気料金、水量に影響した場合の保障、今現在も年間4mm(10年で4cm)隆起している南アルプス区間の軌道修正など、 運転費用はどんどん上積みされていきます。 》 ニホンカワウソ in jp
https://twitter.com/hello_kawauso/status/1447696466370121728

《 「分配なくして成長なし」
    ↓
  (3日後)
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  「成長なくして分配なし」

  岸田政権、やっぱり駄目だった。 》 Tad
https://twitter.com/TadTwi2011/status/1447857226257891329