中沢新一『芸術人類学』みすず書房2006年4月15日第2刷、「III イデアの考古学」の「山伏の発生」を読んだ。私には全く未知の知見が展開されている。息を呑む。
《 修験というものが発生したその瞬間において、何か決定的な飛躍が人々の精神におこったことを、認めざるをえない。その「なにか決定的な飛躍」と呼ばれるものは、民俗学の思考の限界を越えている。 》 239頁
《 ここに「国家」という新しい考えが出現することとなったのである。原初の「国家」は歴史の中で自然に生まれてきたものではない。自然の領域に踏み込んで、その奥に潜む力をつかんで人間の世界の内部に持ち込もうとする、ひとつの思考の断絶と飛躍がなければ、「国家」はけっして出現することはできなかった。権力の源泉をめぐる思考の革命が、「国家」なるものをつくりだしたのである。
私たちは「国家」を生み出したこのような断絶的・飛躍的な思考と、タブーの領域であった聖なる山に踏み込んでそこを修行の場としようとした原初の修験の思考との間に、あきらかな並行関係があるのを、はっきりと認めることができる。日本列島における原初的な形態の修験が発生したのが、当時の先進地帯である東九州であったことの理由は、そこにある。列島のほかの地方では、まだ縄文的な構造思考がおこなわれていた。そこは「国家をもたない社会」として、力の源泉は自然の奥に隠されているものであり、人間はあえてその領域に足を踏み入れないという思考にしたがって、昔ながらの構造的社会の生活が続けられていた。そこにこのような新石器的な構造的思考からの断絶と飛躍をともなった「国家」の思考と、それに促されて出現した朝鮮半島における修験の思考が、九州に上陸したのである。 》 245頁
《 「国家」は「共同体」を乗り越えて、その上に権力の機構をつくりあげた。「共同体」の上に、法と掟の体系に支えられた、より強力な「縁」の世界を構築したのである。ところが原初における修験は、それまでに「共同体」のおこなってきた祭りの構造的限界を突破して、死の領域たる聖なる山と森の奥に踏み込んで、そこに「組合」の原理でできた集団を持続的につくりあげることによって、外の世界の法や掟から自由な精神の「王国」をつくろうとしたのだ。 》 247-248頁
《 「国家」と原初の修験は、鏡に映った像のようによく似ている。「共同体」からの飛躍がなければ、どちらも生まれることはできなかったものだから。 》 248頁
ネット、うろうろ。
《 あと10年もしたら、こういう写真を撮れる場所もかなり減ってしまうのだろうな。 》 マキエマキ@1月24日〜ルデコでサタマリ展
https://twitter.com/makiemaki50/status/1617153647246475266
《 「"公"にどう貢献するのか」が主流になるという予測、アホな資本家を「サステナブル・キャピタリズム」とかで騙して絵買わせてアフリカ支援してるよ!とかいうのも入るのか。一発当てるというイメージは古いがそっちの方に行きたい人も結構いそう。”自己実現”のかたちとして。 》 大野左紀子
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1617352363089743872