『生きぬくための詩68人集』(閑人亭日録)

 未明に目が覚め、昨日話題のジョルジュ・ド・ラ・トゥール『聖トマス  St. Thomas』を思い浮かべた。これは凄い名作と、改めて思った。西洋美術館、いい買い物をした。この一点だけを見に西洋美術館へ行きたい。が、今は展示していない。待ち遠しい…。これをまた見ずに死ねるか。
 https://collection.nmwa.go.jp/P.2003-0002.html
 購入を忘れていた鈴木比佐雄ほか・編『生きぬくための詩(うた)68人集──死を越えて生を促すために』コールサック社 2014年9月10日 初版が届く。  https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784864351720
 表紙は味戸ケイコさんの絵。表紙の絵の女性は、子どもから大人へ脱皮してゆく十代後半の女性と思われる。自我の芽生えから自我の確立した女性へと成長した姿を私は感じる。他の人は何歳くらいに見えるだろうか。遠方の砂浜にいる犬(?)をじっと見つめる、左手に本を携えた若い女性。その立ち姿は、昨日の日録の三人の女性とはまた異なった気配を見せている。それは女性の立つ砂浜の広々とした風景と、遠方の犬を凝視する視線にあるような気がする。図像学は門外漢なので、これ以上論じないが、三者の絵と味戸ケイコさんの絵との対比は、さまざまな想像(妄想?)を促す。
 表紙折り返しに「挿画 味戸ケイ子」。おいおい。
 梅雨入り。昼前は激しい雨。先日書いた床の間の青瓷花瓶は、ネット検索で共箱の落款から三代諏訪蘇山の作と判明。仄昏い床の間で凛とした姿を見せている。絵付けや文様などなにもなく潔い。そう、味戸ケイコさんの絵は潔いのだ。手元の辞書によると、私の考えている意義(意味)とは違う。うーん、相応しい言葉、表現は何だろう。こりゃ難問だわ。これが見つからずに死ねるか。