『人生を愛するには』三(閑人亭日録)

 中村真一郎『人生を愛するには』、「IX 友情のさまざまについて」を読んだ。何とも多才な友人たち。一例。

《 私の友情の点で、やはり大学時代にはじまり、生涯つづき、私の王朝文学研究のための生き証人となってくれた貴重な友人は、元伯爵坊城俊民だった。 》169頁

《 そうした彼が、知り合うとすぐ私に対して特に深い親愛の情を示したのは、私が現代作家では例外的にわが王朝文明の心酔者であると彼が認めたためであったろう。 》170頁

 残念ながら私にはそのような同世代の男の友人はいない。興味、関心の領域が全く合わない。

 「X 直観の神秘について」を読んだ。

《 それは今日の小児化した若者が、白痴的な「アイドル・タレント」のまわりに蝟集する光景を、容易に連想させる情景であったが、そのかつて真理を求めて飢えた者のように集まった群衆と、今日、飽食して幼児化し無意味な嬌声を発している、日本猿の一種とが、同じ日本人であるとは、余程の想像力を駆使しなければ理解不能である。 》182頁

《 青年時代の私は、自他共に認める、病的に鋭い感覚の持主であったのに、それと裏腹にこのように驚くべき鈍感さが共存していたのは、神経質の人間の、それもひとつの特徴であろうか。 》189頁

 「XI 芝居と生活の関係について」を読んだ。

《 ジードも、フォークナーも、ベケットも、辞退したサルトルも、いずれも一時代を先導した前衛作家だった。わが川端さんも、日本にペン大会を誘致した政治的功績がむくいられたと思っているのは、日本風の世俗的誤解であって、氏の新感覚派としての生涯の業績が評価されたのである。たとえば晩年の『みづうみ』のような恐るべき作品が。 》212頁

 『みづうみ』、知らなかった。

 午前五時過ぎ、再び雨が降り出す。街路を見る。傘を持たずに歩いていく男性。傘をさして子犬と散歩する女性。向かいの仕込みを始める鰻店の厨房。その隣の洋菓子店は昨日で閉店。修善寺行始発電車三両の乗客は十人もいない。雨が激しくなってきた。
 午前七時半、晴天。
 午前九時過ぎ、雷雨。
 午前十時、晴れ間。
 午前十一時二九分、揺れる。震源 富士五湖
 午後二時過ぎ、雨。
 午後三時過ぎ、止む。ほどなく晴れる。
 午後九時半、通り雨。