「問いかけ」(閑人亭日録)

 午前六時0.0℃。七時0.2℃。いよいよ冬。
 溜まった書類をきょうも片付ける。といっても小さな段ボール箱三箱に押し込むだけ。多分もう開くことはないだろう、と思っていたら、半世紀ほど前の広告チラシなどが出てきた。ここにも積んであったとは。しばし眺めて、これは使える!と気づく。来年五月のアートフェアでの講演「さもないけれど、面白い」で使えるわあ。半世紀ほど前のオリジナル広告チラシから反体制運動の赤軍派アジビラまで。それらを回覧してもらって、話を進める。これで筋書きが見えてきた。今への問いかけになる。

 福島知佐子さんの 5日のブログから。
 http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2025/12/post-a88986.html
《 自分の悩みや苦しみを表現しても、それは「自己表現」にしかならず「表現」未満だ。 》
《 絵画は絵画として成り立たなければならない。 
  そして「芸術」である「絵画」には、必ず「問いかけ」が存在している。 》
《 本当に絵が好きならば、絵未満のものに全く興味がないし、むしろストレスになるのだ。 》
《 言葉がばからしいと感じた人の絵は、やはり絵未満でしかない。 》
《 「絵」を描くということは全身の運動であり、総合芸術だということ。 》
《 すごい絵には哲学的な「問いかけ」がある。 》

 東京新聞、きょうの「大崎清夏(さやか)の詩の森を歩く」から。
《 管啓次郎「Agend'Ars」は途方もない距離をひたすら踏破し続けた歩行者の記録と言えるかもしれない。 》
《 〈想像力とは能動的・積極的な力ではなく/つねに受動的なある態度にすぎないと私は思う/つまり詩は作れない/それはただ見つかるものにすぎない/詩はみずからを見い出すものにすぎない/横たわる想像力がみずからを離脱し超越するのだ〉(「154」)。 》