安藤信哉展最終日

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で矢崎存美のぶたぶたシリーズを二冊。『ぶたぶたと秘密のアップルパイ』光文社文庫2007年初版、『訪問者ぶたぶた』光文社文庫2008年初版、計210円。夜、イトーヨーカドーでワイシャツを買った足でブックオフ函南店まで自転車で。小杉未醒『新訳 絵本西遊記』中公文庫1995年初版、陳舜臣『失われた風景』中公文庫 1992年初版、中島誠之助『南青山骨董通り』中公文庫1995年初版、白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫2000年初版、二階堂黎人・編『密室殺人大百科・下』講談社文庫2003年初版などを105円棚から抜く。久しぶりに入ったここも長泉店同様、棚の背が高くなっていた。本が増えている。欲しい本が多くて、抱えた何冊も泣く泣く棚に返した。

 朝、源兵衛川の月例清掃だけど、グラウンドワーク三島のインターンシップ研修生たちが川に入って草刈り体験などの世話。いつもより流れの速い川面を何気なく眺めていて、はっと気づいた。この光の反射水面は、セザンヌの空の描写そのものではないか。セザンヌの空の独特な面表現は、じつは川の反射水面から思いついたのではないか。空も水のように実体のあるものとして。そこから安藤信哉の描写=表現へと、思索は巡ってゆく。

 それにしても。『ユリイカ青土社1996年9月号「増頁特集*還ってきたセザンヌ」は厚く、何回読んでも難解。例えば「セザンヌ・キーワード辞典」から「現象学」の一節。

《 このことは画家と哲学者の邂逅というような一回性の出来事にとどまらず、現象学全般に共通する問題系(プログレマティク)として理解されねばなるまい。確かにフッサールは殆ど芸術を語らなかった。そもそもフサールの現象学メルロ=ポンティのそれとは完全に一致しない相貌を呈している。しかしフッサールを含め、現象学にとってやはり芸術は欠かせなかったのだ。現象学的還元が、超越論的主体にとって生きられたものが内在的である事から出発し、信憑を原信憑(ウルドクサ)へと転換する操作であり、この原信憑が、生きられた世界に内属する主体の超越的作用として、表出=表現されていなければならないのだとするなら、現象学は表現の現象学を要請せざるを得ないのであり、芸術の現象学とならざるを得ないのだから。》223頁

 正午前開館。最終日なので、と何人もの方が来館。画集をお買い上げ。好評裡に終了。やれやれ。