広島、原爆忌。
保阪正康『検証・昭和史の焦点』文藝春秋2006年初版、読了。
《 第一次大戦以降、世界の国々にとって戦争は、より多くの権益を得るための手段だった。しかし日本は戦争の収支見通しを立てることなく、いわばどんぶり勘定で戦線を拡大していった。日本軍は収支が発生する現実を見ようとせず、戦争指導者たちの思い込みや願望、希望的観測といった仮想現実の中で戦争を続けていたのだ。 》
「第18話 彼らは何のために戦ったのか」
《 しかし私は、インドネシアの独立戦争に参加し、オランダ軍に首に懸賞金をかけられながらもジャングルのなかで独立のために戦い、そして死んでいった千人近くの日本兵の実像を語ることができないのが残念だ。なぜなら彼らこそ無名戦士として、真に「東亜の解放」のために戦った日本軍兵士の名誉を担っているはずだからである。彼らを思わずして「東亜の解放」など口にすることはできない。 》
「第20話 軍人・兵士たちの手記・回想録をどう読むか」
《 日本が昭和の一連の戦争の折に、戦闘を行うシステム(軍隊)に組み込んだ兵員はおよそ八百万人だろうといわれている。昭和前期の日本の人口は大体七千五百万人だったから、その一割は兵員として徴用されたことになる、と考えていい。しかもその兵員のほとんどは職業軍人ではなく、徴用されての兵役義務に就いている者だった。 》
「あとがき」
《 あえて百年、二百年先となれば、問われているのはわれわれの国の文化的規範や社会的慣習とあまりにも異なっていた戦争の内実だったということになると想う。 》
ネットの見聞。
《 「本当に通したいことは、議論の俎上に乗せるな」。これが麻生副総理発言のキモであり、彼や自民党の信念であり戦略である。困ったことに、この戦略はおそらく最も効果がある。少なくともこの日本においては。 》 想田和弘
ネットの拾いもの。