『 セザンヌの塗り残し 』

 洲之内徹田村泰次郎から現代画廊を引き継いだとき、彼は四十七歳くらいだった、 というネット記事を読んで、おや、私とほぼ同じ歳に開いたか、とヘンな気分になった。いくつか ネットの記事を読んだが、俄に『セザンヌの塗り残し』を読みたくなった。

《 そんなふうに集めたのではなく、私の好きな絵で、私でも買える作品を、その時々に 集めてきたに過ぎない。 》 17頁

 同じだ。でも、このようには書けないわ。彼は画商、私は愛好家。感心したくだりを。

《 だけでなく、仕事場に入った瞬間に、何も知りもしない私なんかがいきなりやって来て、 ちょっと話を聞いたくらいで、砥部焼がどうのこうのというような、利いた風なことは 言えないと思い知らされた気持であった。 》 26頁

《 私が高円寺へ来たのは昭和五年以来、実に五十年ぶりであることに気がついた。 》  32頁

 高円寺か。大学卒業以来降りたことがない。てことは四十年余。まだ降りる用事がない。

《 私のコレクションは、世間で名作といわれるものを集めたのでもなければ、各時代の巨匠・ 大家といわれる作者の作品を集めたものでもない。金のない私にそんなことができるわけがない。  》 68頁

《 絵から何かを感じるのに別に修練は要らないが、絵を見るのには修練が居る。眼を 鍛えなければならないのだ。 》 70頁

《 こんなことをこの調子で書いていてはきりがない。 》 70頁

 こんな感想をいちいち書いているときりがない。彼の眼を対比している自分に気づく。 洲之内徹の評価する絵を全面的に支持することはない。相容れないところはかなりある。 それでいい。しかし、なぜこの文章に惹かれ、読んでしまうのだろう。前半を読了。

 銅版画の林由紀子さんから神戸の個展の案内葉書が届けられる。今春出たヴァーノン・リー 『教皇ヒュアキントス』国書刊行会の表紙を飾った『ペルセポネーの花と闇』が、1997年に 滑走から滑空になった制作時期の掉尾(到達)を示す作品とすれば(私はそう思う)、 この新作『 LA FAUNE EN ROSE 』(薔薇色の牧神)は、新たな展開を示す作品だろう。
 https://twitter.com/PsycheYukiko
  http://g-loeil.com/galerieloeil/lin_you_ji_zi_zhan3.html
 ネットの見聞。

《 書籍の歴史を学ぶ時、今ある本の形態もいずれは変容していく一過程のものなのだということに 気づかされます。過去を知ることによって未来もまた見えてくるわけです。 》 ウラゲツ☆ブログ
 http://urag.exblog.jp/21261510/

《 画家とイラストレーションの中間のような仕事をしていた友人のうち、二人が早逝した。 彼らは本の表紙やカットなど、莫大な量の仕事をしたが、死後形としてはっきり残ったのは「 絵本」だった。表紙や広告画と違い、その人の「作品」として、くっきりと光を放ち続けている。 》  寮美千子
 https://twitter.com/ryomichico

《 NHKは「国会審議入りした安保法案」…ではなく「イタリアとタイの麺料理」を放送 》

 ネットの拾いもの。

《 TVで芸能ニュースと称するものは「家族ネタ」。ネットで芸能ニュースと称するものは 「パンチラ」「ブラチラ」。 》

《 そんなことより1円玉が4枚足りない。どうしよう。 》