『 白鳥 』

 吉田一穂詩集『白鳥』コーベブックス1975年発行を再読。大きい活字でくっきりと印刷。 一行一行、一語一語が立体的に立ち上る。そんな経験はこれが初めて。未だに次がない。 帯文から。

《 詩の鍵の秘密を異文に託して今「白鳥」は未知より蘇る! 》

 それを実感する。詩篇「白鳥」を語るには能力不足、手に余る。ネットに最初の五章が 掲載されているが、いくつか誤字(?)がある。そりゃあ間違えるわ。それを恐れてあげない。 というより、七回も推敲、改作されているので、どれを決定稿とするか。コーベブックス版では 創元社版『吉田一穂詩集』を原典(テキスト)としている。その第二章第一行。

《  燈を点ける、竟には己れへ帰つてくるほかない孤独に。  》

 ルビ。燈=ラムプ。点=つ。竟=つひ。

 『吉田一穂大系』仮面社版では。

《  燈を点ける、竟には己れへ還るしかない孤独に。  》

 全集『日本の詩歌21』中央公論社、伊藤信吉の註釈から。

《 「白鳥」一章三連、全十二章の長編である。その長さが十二章ということばかりでなく、 全三十六連の言葉が、極度に圧縮されていることに特色がある。最小限の言葉の最大限の 許容量。 》

 饒舌体が苦手な私は、こういう詩にワクワクする。加藤郁乎は『吉田一穂大系 第二巻 詩論』 仮面社の解説に書いている。

《 「白鳥」十五章は一穂詩学に於ける最大の結晶体である。この作品はただひとり吉田一穂の 表現的財宝だけではなくて、いまや日本語法による現代詩の最初の力学的なエポックとなつた。 「白鳥」の詩人はこの詩的宇宙にこれまでの発想のすべて、発見の数々を魔法的に封印している。  》

 吉田一穂が編集した季刊雑誌『反世界』第2号木曜書房1969年収録の随想から。

《 私は詩を書かうと白紙に向ふ場合、いつも恐怖を覚える。日常の経験や外的対象を追試したり、 再現や描写の方法を採らないからでもあらうが、作品を一つの独立な体系として考へ、思念を 指極に回転軸として、任意の時間と空間の座標をとり、意志の方向性を与へるといふ構成法で 始めるので、これは自然に存在しないし、従つて経験的対象とはいはれない。 》 「漁父荘」

《 書くといふことは、どんな労働よりも辛い仕事だ。価値の対象ならぬ、しかも自分が自身を 支配する外にすべない仕事といふものこそ詩である。海の混沌から未知の魚を引きあげる 釣人の悦楽と違つて、白紙の暗闇から引き出す幻の魚は市場には出ない。苫の蟹舎に座して 私は毎夜、魚を釣るだらう。 》

 しかしなあ、と思う。『白鳥』コーベブックスの挟み込みの紙片。

《 本限定版の製本終了後に、誤植が発見されました。不注意を深くおわび申し上げます。 》

 午前中は東京農工大の学生二十人ほどの源兵衛川体験のお手伝い。昼前ポツポツ降る中を帰宅。

 ネットの見聞。

《 日本中にある”キリスト看板”製作現場を東スポがマスコミ初取材 》
 http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/412057/

《 日本会議などの国家神道系の政治勢力に国政が「乗っ取られた」状況は、 もう一目瞭然だと思うが、この期におよんでもなお、目の前で何が進行中なのか、 大手メディアは承知していながら「記事には書かない」「放送には乗せない」 態度を貫いている。大手メディアの社会的責任は、日に日に重くなっている。 》 山崎雅弘
 https://twitter.com/mas__yamazaki