『実在への殺到 Real Rush』五

 清水高志『実在への殺到 Real Rush』水声社2017年初版を少し読む。「第7章 グレアム・ハーマンについて」。これは難解。冒頭。

《 「私たちが出会うのは、実在そのものではない。私たちによる事物の知覚や実践の操作が、事物の実在性を汲み尽くすことはない。個々の事物は、汲み尽くす ことのできない余剰を抱えている」。これはまさしくグレアム・ハーマンの言葉である。オブジェクト指向哲学(OOO)、モノと人間との関係を問い直す 思想の原点は、事物の《汲み尽くし得無さ》への着目であって、この《汲み尽くし得無さ》がこれまで本当には理解されてこなかったために、人間とモノ(事物) との関係には著しい不均衡があった、というわけだ。 》 157頁

 冒頭は魅力的だが……。そのグレアム・ハーマン「オブジェクト指向哲学の76テーゼ」の翻訳サイト。
 https://www2.chuo-u.ac.jp/philosophy/image/76_Theses_on_OOP.pdf#search=%27%E3%82%AA%E3%83%96%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88%E6%8C%87%E5%90%91%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%EF%BC%97%EF%BC%96%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%BC%27

 手に負えん。飲み込みの悪さを痛感。引用は控えて結びのページ。

《 魅惑の働きは、このようにハーマンの哲学において、世界の全体としての結びつきを成りたたせるための不可欠の要素とすらなっている。 》 175頁

《 表層と、深淵は、このように実のところ手を携えている。そしてそうした世界を織り成す鍵となるのが、魅惑である。また、芸術をもその働きを生む手段として もつ魅惑は、世界がみずからを生成する働きそのものとともにある。──なにが、それを生みだしているのか? 汎魅惑論は、やはりある種の汎心論でもあるとまで、 もはやさらに付言する必要があるだろうか? 》 175頁

 魅惑。魅せて惑わせる。魅せられて惑う。♪戸惑うばかりのわたし〜♪(中森明菜)。

 続く「第8章 機会原因論アニミズム」も、文章は難しくはないが内容は、私にはひどく難しい。第7章同様、前提となる基礎知識の欠如のためだ。でも 興奮させられる。ここがなんとも心憎い。わからなくても面白い。新たな知の鉱脈または暁闇の光明がある。それをなんとしてでも我がものにしたい。

《 ハーマンの企図は、両者の懐疑の方向性、すなわち外部的なオブジェクトおよび未到の経験への懐疑と、究極の外部性と見做された神の内部で起るもろもろの オブジェクトどうしの関係への懐疑をともに巻き込みつつ、解消することにある。すなわち、一方的に外部に排除されていたマルブランシュの神を、多様な 実在的オブジェクトとして内部化し、またヒューム的な経験論において、《現に生じている》経験とそれが描く関係だけが信憑され、その外部が懐疑されていたのに 対し、そうした経験においてあらわれるもろもろのオブジェクトにもすでに外部性や脱去する性格を認めてしまう、というのがそのストラテジーなのである。 》  182頁

《 主客の二項化を回避しつつ、中性一元論の着想を活かすためには、複数性、つまり一対多という別の二項関係を噛み合わせて、ホーリズム的構造を徹底して 崩していかねばならない。 》 186頁

《 ハーマンの三項的、かつ交差交換的な議論においては、実在的オブジェクトと感覚的オブジェクトが並列的に捉えられ、そこでのオブジェクトの感覚的性質が、 魅惑( Allure )を介してまた別の実在的オブジェクトへと垂直に接続してゆくとされたが、こうした過程も、上述のように中性一元論をさらに高度化して その機構を辿るなかで、再定義される必要があるだろう。また、感覚的オブジェクトや感覚的性質、実在的オブジェクトや実在的オブジェクトという概念にも、 さらにあらたな規定が与えられなばならない。 》 189-190頁

《 とはいえ、精確に言えば人間だけがこの種の詐術を行うわけではなく、蛸であれ狐であれ、いずれも捕食者や獲物を欺くさまざまな生の技巧(メーティス)を 持っている。 》 194頁

《 世界を記号過程として見るなら、それは高度で、巧妙なメーティスを行使し、他者をみずからの記号過程に吸収してしまおうとするものどうしの、終わることの ない闘争という風に見ることもできるであろう。 》 194頁

《 ハーマンの思想は、このような機会原因論アニミズムとして、さらに発展させられるべきものである。そしてそれは、人類の経験主義的な知の計り知れぬ 古層からある魅惑や恐怖を、私たちに改めて開示するものである。 》 204頁

《 また、何十億年も離れた星や、何千年にもわたって佇立する岩について、私たちはなにを知っているだろうか。 》 194頁

 上記引用には小松左京のSF長編『虚無回廊』を連想。

《 こうしてでき上った、SSの基本構造は、たまたま大宇宙のソフト相転移の形成時に、泡(バブル)構造の中心核に、「孤児」のような形で形成された「虚宇宙」 と「実宇宙」の間を、はるか何十億年後につなぐ性格を与えられた「回廊(コリドー)」の構造だった。 》 『虚無回廊』角川春樹事務所2000年初版、166頁

 雨。静かな土曜日。いつもの時間に目覚める。が、布団から出たくない。ぐずぐず。この快感、久しぶりだ。秋が来た。しかし、のんきにしていると 唯一テレビ視聴しているEテレの「ムジカ」ナントカを見逃してしまう。たった十分間の音楽番組。おお、斎藤アリーナが「 Take Five 」を歌う。目が覚める。
 http://www4.nhk.or.jp/musica/

 2日に知徳高校の生徒さんたちと繁茂した数珠玉などを刈って更地にした土手に彼岸花が一杯咲いていると、昨日近所のオバサンから教えられ、午後見に行く。 いやあ、ほんとだあ。なんという。

 ネット、いろいろ。

《 手許性とともにある道具(ハイデガー)を、さらにそれを観察する者との関係において捉える(フッサール)。。これがもっとも原基的な三項性だ。 ハーマンにおいて本質的なのはこうした内と外の自在な入れ替えであり、両者をうまく配合して別の思想に発展させている。 》 清水高志
 https://twitter.com/omnivalence/status/908723191786307585

《 ハーマンは噛めば噛むほど味がでる。。正直ちらっと読んだ段階では俺のほうがいけてるなと思ったが、これはなかなかだ。ギャロウェイは雑魚、 シャヴィロとか全然勝ったと思ったが、ハーマンは雑で乱暴だけど多方面で霊感源になる。同時代人でよかった。 》 清水高志
 https://twitter.com/omnivalence/status/908730143798988800

 拙ブログを読んでいるんじゃないか、とあり得ぬ妄想を呼ぶ書き込みだ。これぞ共時性か。

《 今は図鑑が写真になっちゃってるみたいで、写実的な絵で埋め尽くされてた自分たちの頃までは本当に恵まれていたんだなと思います。コントラストの強い 水彩モノクロの挿絵とか、パリッと黒い絵物語のペン画とか、ああいう少し暗くて怪しくて夢のある図解を見かけないのも惜しいですよね。 》 リセットボタン連打
 https://twitter.com/rstbtr/status/908702472545329154

《 「デジタルの時代であっても人間の目で捉えた発見は価値があり、イラストは重要な科学のツールだ。」 》 正確な描写の植物画展「フローラ ヤポニカ」 国立科学博物館
 http://vpoint.jp/photonews/95728.html

 12日に書いたこと。同じ絵画の再現で、最新のカラー写真印刷よりも明治末の彩色摺り木版画の方が心に迫るのは、上記引用と同じ、練達の手技の魅惑なのだろう。

《 毎日新聞取材だん。「民営化」というマジックワードについて。市場と決してリンクしてはならない社会活動があり、それを宇沢弘文先生は「社会的共通資本」 と名づけましたというお話をしました。この話を何十回したかわからないけれど、いまだ日本の常識には登録されておりません。前途遼遠。 》 内田樹
 https://twitter.com/levinassien/status/908586247236362240

 そうかあ。「社会的共通資本」が。

《 同業者からもらった小学館日本国語大辞典」全20巻。店に置くスペースもなく売れるとも思えず、ヤフオクに出してみたが落札されなかった。 全20巻1000円という値でも売れない、それが現実なのだ。 》 智林堂書店
 http://chirindote.exblog.jp/237748333/

《 考えてからやることも大切だけど、やってから考えられることも多い。過去と違うことは反対も多く心が折れそうになるかもしれないけど、 そこが諦めずに粘り強く挑戦し、改善を続けて欲しい。
  必ず積み上げで成果は大きくなる。  》 木下斉
 https://twitter.com/shoutengai/status/908596001522327552

《 2本足の猫。カンガルーキャットと呼ばれた子猫は今、愛をふりまく存在に(アメリカ) 》 ガラパイヤ
 http://karapaia.com/archives/52245798.html