『中村雄二郎対談集 対話的思考』九(閑人亭日録)

  最後の対話、富岡多恵子との対話「XI 言葉の力」を読んだ。

《 富岡 今の日本の詩がなぜひとびとと離れているかというと、言葉のなかにコブシを失ってしまったからです。 》 393頁

《 中村 言葉そのものについてコビシがあるかないか、という問いに驚いたんですが、今のお話を聞くと、それは言葉が生きているかいないか、身体化されているか、 いないかということなんですね。
  富岡 言葉が身体的な経験になっているかいないかでしょうね。 》 394頁

《 中村 例えば哲学の本を読んでいても、理屈はわかるけれど何度も何度も同じところを読んでいて少しも頭のなかに入ってこないことがある。一体それは何故だとうか と永い間考えてきたんですが、その結果得られた結論をいえば、どうもメッセージというのは、知識ではなくて、リズムが伝えるのじゃなかろうか、ということになった。  》 396頁

《 中村 リズムというのは、息だと先ほどおっしゃいましたね。私も、人間あるいは動物にとってリズムの基本は息だと思います。それから、次に重要なのは、 サーカディアン・リズム(体内時計の司る)でしょうね。さらにもう一ついうとすれば、身体の隠れた振動。文章を黙読していても声帯は動いている。ただ目で読む というのはありえない。
  富岡 そうなんですよ。やっぱり体で読んでいるんです。 》 399頁

 『中村雄二郎対談集 対話的思考』新曜社1999年初版、読了。なかなか刺激的な本だった。しかし、日々疲れていたせいで、深く読み込むことができなかった。

 朝、『第1回「折々のうた」の世界で遊ぶ』ことばのたね実行委員会のお手伝いで三島市生涯学習センターへ。中心を担う知人が風邪で欠席。なんとまあ。 童話屋社長田中和雄氏の講演は好評裡に終了。関連本も売り切れ。やれやれ。田中さんを囲む打ち上げを見送り、雨の中白砂勝敏展へ。午後七時過ぎ帰宅。