『現代存在論講義 I』六(閑人亭日録)

 倉田剛『現代存在論講義 I』新曜社2017年初版、「第四講義 性質に関する実在論」を再読。

《 存在論者は「あるものがFである」という事実を成立させている原因(の一部)を特定するのではなく、むしろそうした事実が世界のいかなるカテゴリー的構造に もとづくのかを明らかにしたいのである。言い換えれば、「あるものがFである」ためには、世界がどのようなあり方をしていなければならないのか、すなわち世界には 何が存在し、存在するもののあいだにはどのような関係が成立しているのかを明らかにすること、これが存在論的説明(ontological explanation)の目標である。 》 104 頁

《 用語法をもう一度確認しておくと、性質は例化されるものであるのに対し、性質を例化するものは、その性質の「実例」(instance)ないし片仮名で「インスタンス」と 呼ばれる。 》 106頁

《 ユイ いずれの立場に立つにせよ、性質(普遍者)は例化概念によって規定されるということよね。

  それが最も基本的な規定である。一般的に普遍者/個別者の区分は「反復可能性(repeatability)と呼ばれる概念を用いてなされるが、それは例化概念を前提している。  》 107-108頁

《 「時空間性」もまた、普遍者/個別者の区分においてしばしば言及される基準である。〔中略〕
  こうした反論を考慮すると、普遍者・個別者の区分は、例化される/されない、あるいは反復可能/不可能という特性によってなされると考える方がより問題が少ない ように見える。 》 108-109頁

《 「あるものaがFであるという事実は何にもとづくのか」あるいは「数的に異なる二つのものaとbがともにタイプFであるとという事実はいかに説明されるのか」 といった問いに答える際に、普遍的性質の存在に訴える立場は「実在論」と呼ばれた。(それ以外の立場は「唯名論」である。)実在論者は前者の問いには「aによるF性の 例化」による説明を、後者の問いには「aとbによる同一のF性の例化」による説明を与える。これらの問いにおいて求められている説明とは、因果的説明ではなく、 「存在論的(形而上学的)説明」である。 》 137-138頁

《 実在論は次の三つのテーゼによって擁護された。第一のテーゼは、「普遍的性質は類似性にもとづく世界の諸事物の分類に存在論的な基礎を与える」であり、第二の テーゼは「われわれの日常的な言語使用は普遍的性質の存在にコミットしている」であった。そして、第三のテーゼは「自然法則にもとづく規則性の説明は普遍的性質の 存在を要請する」と説くものであった。 》 138頁

 再読するとなんとなくわかった気になる。しかし・・・という思いは残る。

 ネット、うろうろ。

《 「勝負の三週間、政府は何をしたんですかっ?」

  「祈祷師の数を3倍に増やしました」 》 buu
https://twitter.com/buu34/status/1339370945157296131

《 大人数忘年会について

  嘘にしか聞こえないとってつけたような話をやった後に

  菅義偉
  「そこは大いに反省をしているところであります」
  ↑
  と言う場面で、笑っているという。
  本当に一体どういう神経しているんだ。
  news24.jp/articles/2020/12/16/04787339.html 》 尾張おっぺけぺー
https://twitter.com/toubennbenn/status/1339350784119459840

《 批判すること自体を良くないことだと教えられてきている、というのは自分も感じるところ。相手の意見や立場を尊重しつつ、違うと感じるところは 論理的に批判する、そして議論する、というのは相手を頭ごなしに否定したり攻撃したりするのとは全然違うのだけれど。そういう経験がないんですよね。 》 ばく
https://twitter.com/kapibaku/status/1338833316447879168

《 権力批判が若者の特権、みたいな時代は遠くに過ぎ去って、権力批判するのは空気読めてない迷惑なやつ、みたいな雰囲気になりがち。
  そういう環境で育ってきた学生に、政治がおかしいときには権力批判してもいいんだよ、という話をしてもなかなか伝わりづらい。 》 ばく
https://twitter.com/kapibaku/status/1338842109906804740

《 もう寝なさい。 》 マキエマキ@自撮り熟女
https://twitter.com/makiemaki50/status/1339251821739556864