『ある伝統美への反逆』(閑人亭日録)

 北一明は十歳の時に敗戦を迎えた。教師たちの一夜にしての変節(軍国主義から民主主義へ)に、教師ら大人たちに深い不信を抱いた。そして信じられるものは土しかない と実感した。ということの出典を著書『ある伝統美への反逆』三一書房1982年3月31日初版で探索していて、こんな一文に遭遇。

《 空前の絵画ブームが過ぎ去ったあとに残ったものは、人間の物欲にまつわる泣き笑いの悲喜劇でしかなかった。ただただ空しさのみが人々の心に残り、それがやっと 忘れ去られようとしている今日この頃、湧き起こりつつあるのが民芸──とくに陶芸ブームである。 》163頁

《 このような時流はいきおいブームの中でさまざまなヴァリエイションをもたらし、その一例として、柳宗悦によって評価された、大衆の湧きあがるような民衆芸術 (民芸)も、柳の死後、その形骸のみ歩きだし、雑器、雑具をして、すべて美術品であると錯誤させる結果ともなり、いまや、民衆のいきいきとした土着のエネルギーとして、 我々の心を打ったかつての真の民衆芸術は、残念ながらすたれ行こうとしている。つい最近の絵画ブームも、まさにこのような堕落的状況を典型的に我々の眼前に露呈して 終焉したかにみえる。 》 165頁

 テレビでは明石家さんまが画商を名乗って売れない絵を喧伝している。何度目の愚かなブームだろう。それはさておき。続く項目(小題)は、「原点の把握が不十分」 「”作家でない陶工”が多い」「「窯変」は怠惰の自己弁護」「土味・土肌の問題」「原始の形骸を焼く愚かさ」「後向きと前向きの模倣」と手厳しい論述が展開される。        

《 ところが現実には、中国のこの時代の窯は国を挙げての仕事であったために非常に高いレベルの焼きものであって、現在世界第一級のレベルにあるといわれる日本の 窯業も、個々の作品についてみる場合、宋窯よりはるかに格調の低い焼きものであることは衆目の一致するところなのである。陶芸史、陶磁史は、残念ながら過去千年、 底辺のレベルは前進しながらも、歴史は停滞し、先端は進歩、発展していないのであり、それも宋窯よりもはるかに後進的なのである。この原因はいろいろあるが、前述した ように後向きと前向きの模倣(前衛派も外国の模倣であり、日本、中国などの伝統と対決し、克服していない)に終始している作家の美を求める姿勢の誤りと、やはり 頭の頑迷さからくる焼成に関する現代的適応のなさに要因を求めることができる。 》 177-178頁

 そういう観点からすると、小原古邨の原画(肉筆画)と木版画(複製画)を見較べると、原画は欲しくなかった理由が、模倣の域を脱していないからかも。原画と木版画 では、椋鳥の数が木版画では減っていたり、幹に絡まる蔦の葉の緑色が紅葉になっていたり。で、木版画のほうが遥かに魅力的。彫師摺師の目の高さ、卓越した技を実感。

 北一明の茶碗を鑑賞。やはり既成の美を突き抜けている。だからこそ陶芸界からは無視されているのだろう。認めれば業界の序列が崩れてしまう。

 ネット、うろうろ。

《 常なれば 小麦実らす その黒土 履帯が刻む 妄執の溝 》 赤城毅/大木毅
https://twitter.com/akagitsuyoshi/status/1501411578222383107

《 ちはやぶる 神も哀れと 思し召せ 逃れの翼 子らに与えよ 》 赤城毅/大木毅
https://twitter.com/akagitsuyoshi/status/1501413229872160771

《 核兵器を持ってる国は攻撃されないと思ってる人がいるみたいだが、それは間違っている。米国は2001年にアルカイダにツインタワービルなどを同時攻撃された。 米国は結局アルカイダタリバンに核を撃ち込むことはしなかった。もし日本が核を持っても攻撃は普通にされる。へんな幻想を持つべきではない。 》 森岡正博
https://twitter.com/Sukuitohananika/status/1501217831727538181

《 ランキングだけで測れない要素もなくはないが、この連続ツイートに示されたデータからも、いまの日本のミソジニーの状況はわかる。女性の自殺者数3位、 女性研究者数最下位、など、この国が急速に衰退に向っていることを思わせる。この国の実情についてもっと知ろう。★ 》 巖谷國士
https://twitter.com/papi188920/status/1501072955974946817