『縄文論』再読・四(閑人亭日録)

 安藤礼二『縄文論』作品社二〇二二年一一月一〇日第一刷発行、「縄文論」前半を再読した。

《 資本主義も社会主義全体主義も、近代的な国家を内側から乗り越えて拡大する、超近代的な帝国を目指していた。世界に覇を唱える帝国を目指す国家同士の闘いは必然的に全面化し、同時にその帰結としての破滅もまた全面化することになる。その危機は現在でもまったく薄らいではいない。
  帝国に抗うためには、なによりもまず帝国を生み出した「生産と蓄積』の論理そのものを再検討しなければならない。それとともに、「生産と蓄積』の論理によって成り立ち、帝国の基盤となった国家という在り方そのものをも再検討しなければならない。(引用者・略)「未開』や「野蛮』と称された社会は、国家の形成に抗う社会であった。 》 142頁

《 人類は頭脳からではなく足から進化したのだ。 》 144頁

《 世界の大部分に新石器革命の波が押し寄せた直中で、その革命を受け容れなかった人々が極東の列島にも存在した。(引用者・略)新石器(農耕および牧畜)の時代に属しながらも、旧石器(狩猟採集)の生活を捨てていなかったのだ。世界史の上で縄文のもつ特異性があるとすれば、その点に尽きる。それに付随してもう一点、土器が造り上げられる方法および焼成温度も縄文と弥生では著しく対照をなす。縄文は自然のままでの野焼きという「低温》で造られるが、弥生は、同じく野焼きではあるが、それらをさらにドーム状の覆い、いわば人工の窯を形成し、そのなかの「高温」で造られる。 》 146-147頁

《 縄文は、国家として結実し、現在にまで至る「灌漑水田稲作」による社会、弥生とは断絶している。 》 147頁

《 新石器の農業革命が都市と「文明」に帰着する頃、都市も「文明」を残さなかった列島に定住した狩人たちは、その代わりとして、最も複雑かつ華麗な造形作品を残していたのである。 》 148頁

《 都市として、「文明」として、果てしなく外へと溢れ出していく「生産と蓄積」の力を、極東の狩人たちは無償の土器制作、「消費と蕩尽」の力が内的に結晶化した芸術作品にささげていたのだ。 》 148頁

《 渦は渦を巻き、螺旋を描く。それは具象ではなく抽象である。しかも平面の処理ではなく立体すなわち「空間」の処理であり、さらにそのことによって人間的な三次元の「空間」の研ぎ澄まされ、現実である「三次元」を超えた超現実、「四次元」の認識がひらかれ、「四次元」の表現が可能になる。 》 150頁

《 芸術の起源に還ることによって芸術の未来をひらく。芸術の新たな次元、芸術の「四次元」をひらくのは、起源の芸術を創り上げた氷河期の狩人たち、彼ら彼女らが磨き上げ、そこから一歩を踏み出そうとした極限の空間認識(「極めて鋭敏な三次元的感覚」)からなのだ。 》 151頁

《 それを一言でまとめてしまえば、人間にとって「表現」がどのように生まれ、その表現がどのように展開してきたかを探ること、となる。原型としての人間、原型としての表現を探ること、となる。 》 160頁

《 「猿人」と採集、「原人」と狩猟、「新人」と芸術。それらの三要素が揃い、原型としての狩猟採集社会(後期旧石器時代の社会)が完成したのだ。 》 167頁

《 農耕社会は最も恵まれた土地でしか可能にならない。われわれのうちに「権力」が芽生えるのは、狩猟採集社会が完成した後から、であった。 》 172頁

《 農耕社会の成立から近代国民国家の誕生までわずか一万年に満たない。狩猟採集社会は三〇〇万年の持続のなかで可能になった。縄文の人々は、アイヌの人々は、新石器革命を乗り越えて、その消息を現在にまで伝えてくれる生きた証なのだ。 》 173頁

《 バタイユ岡本太郎の「表現」(創作)にルロワ・グーランや渡辺仁の「科学」(研究)を接ぎ木する、そこに新たな時代の「縄文論」、狩猟採集社会論にして、その芸術論が可能になるであろう。 》 173頁

 きょうはここまで。ふう。いろいろな連想が湧く。あの作品、この作品・・・縄文。