『言語の本質』三(閑人亭日録)

 今井なつみ・秋田喜美『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』中公新書2023年6月20日3版、「第6章 子どもの言語習得2──アブダクション推論篇」を読んだ。

《 あることばが指す典型的な対象をいくつか知っているだけでは、そのことばの意味を本当に「知っている」ことにならないことは、繰り返し指摘しておきたい。(引用者・略)つまりことばの意味は点ではなく、面である。では面の範囲はどう決まるか。同じ概念領域に属する他の単語との関係性によって決まるのである。対象を「点」として知っていても、「面」の範囲がわからなければ、ことばを自由に使うことはできない。 》 178頁

《 モノの内的な性質を共有するほうが形よりも大事なのだという認識を得て、形バイアスそのものを修正し、対象のより本質的な性質に目を向けるようになる。 》 197頁

《 第5章で述べたように、大人が「似ている」と思う基準は、視覚的な類似性に限らない。言語を学習することによって、抽象的な関係性や同じパターンで使われる関係性など、もともとは「似ている」と思わなかった概念にも類似性を感じるようになる。 》 203頁

《 この「知識を使う力」つまり「知識が知識を創造する」というパターンは、人間以外の動物には見られないものである。 》 207頁

《 知識を創造する推論には誤りを犯すこと、失敗することは不可避なことである。それを修正することで知識の体系全体を修正し、再編成する。この環境がシステムとしての言語の習得にも、科学の発展にも欠かせない。 》 218

 「第7章 ヒトと動物を分かつもの──推論と思考バイアス」を読んだ。

《 数多(あまた)の言語起源論の中で、本書は、人間独特の思考の様式に注目した。アブダクション推論という思考である。人間は、アブダクションという、非論理的で誤りを犯すリスクがある推論をことばの意味の学習を始めるずっと以前からしている。それによって人間は子どもの頃から、そして成人になっても論理的な過ちを犯すことをし続ける。しかし、この推論こそが言語の習得を可能にし、科学の発展を可能にしたのである。 》 246-247頁

 「あとがき」を読んだ。

《 本書では、秋田氏と私が選んだピースを組み合わせ、収まるべき場所に収めて「言語の本質」というタイトルのジグソー絵を完成させた。しかし、絵画の評価軸が一様でないように、研究も──とくに社会・人文科学では──ひとつの真実、ひとつの正解にたどり着くことを目指しているわけではない。 》 266頁

 絵画に援用できる論述だなあ、と感じていたら、「あとがき」に書かれていた。ていうか、「縄文」から美術を捉え直していた私には、じつに刺激的・・・刺激満載だった。

 午前、源兵衛川の月例清掃へ。かわせみ橋上流でゴミ拾い。ここは木が茂っていて、木陰になる。川幅が広いので浅い。が、意外と流れが速い。それに何だ、この冷たさは。手袋をしているのに冷え~。長靴の足も冷え~。お散歩中のプードルが川に入る。ちょっと歩いてすぐ上がる。冷たかったみたい。こちらも予定を早めてあがる。これ以上作業していると、転ぶ予感。危険を予知したらさっさと止める。自転車で無事帰宅。やれやれ。汗~。水を浴びる。ふう~。