昨日じっくり愉しんだ『Blues-ette』。これ(再発売盤)を購入した1970年代初頭、柴田博が解説で書いていることが気になった。
《 こんなとき、ハード・バップとかファンキーのあわれな末期的な状態についてふれらている文章などに出くわすと、わが劣等コンプレックスは倍増する。たとえばこんな風にである。(引用者・略)
「オーネット・コールマンの出現は”ファンキー元禄”の夢をぶち破ったのである。」(油井正一氏)
「ハードバップの行きつく先は目にみえていたといっていい。……オーネット・コールマンらを中心とする前衛ジャズの出現によって、ハード・バップはあっさりのりこえられ、もろくも崩れ去っていった」(相倉久人氏)
残念ながら(?)これらの表現は、それなにりにたしかな根拠に立っていて、その限りではまったく当をえたものだとと思う。(引用者・略)それはともかくとしてハード・バップ=ファンキーの積極的な意義もしそれがあればの話だが)について書かれたものには、最近めったにお目にかかれなくなったのも淋しい。 》
確かに1960年代末から1970年代前半、私がジャズに耽溺していた時、このような二人(油井、相倉)の論調を雑誌や本で読んでいた。本棚には当時の二人の本があるはず。相倉久人『ジャズからの挨拶』音楽之友社昭和46年10月30日第4刷、『ジャズからの出発』音楽之友社昭和48年6月1日第1刷はすぐに見つかった。この二冊は何度も読み返した。当時、第一次山下洋輔トリオを新宿の紀伊国屋書店裏にあったピット・インや国立音楽大で聴いた。国立音大では司会が平岡正明で、「今回の演奏はすごくよかった」云々という発言が心に刻まれている。そんなわけで、一方では前衛の最先端を行く山下洋輔トリオを聴き、他方ではモダンジャズ=ハードバップを愛聴していた。
これ以上回想は書かないが、それから世界各地の大衆音楽を聴き巡って半世紀。ファンキー=古い、と言われても、やはり聴きごたえがある。それは美術にも言える。様式が古い(古臭い)と言われても、その様式を超えて、様式を考える以前にその表現に魅了されてしまう作品がある。また書くが、古くは縄文土器。まさしく温故知新。数千年を経ても今も新鮮=今もって魅力を放つ作品。それが名作、名品と言われるものだろう。音楽も美術も流行(ブーム)の波がある。その波が去った後に何が残るか。人気、流行が去って、古ぼけたとして忘れられた作品が、歳月を経て再び脚光を浴びる。例えば江戸の絵師伊藤若冲、明治の絵師河鍋暁斎、昭和二十年に亡くなった木版画絵師小原古邨。
http://web.thn.jp/kbi/koson.htm
陸上トラック競技でいえば、最後尾のランナーと思ったら、先行するランナーだったというようなもの。先行者と思われたランナーがじつは最後尾だった・・・。