美術作品は、名作、傑作、秀作、佳作、名品、逸品、優品、珍品から迷作、凡作、駄作、愚作、さらに贋作まで上下さまざまな作品が世に犇めいている。当然だが、秀作、優品未満の美術作品は、まともな美術館では展示されていないだろう、と思いたい。私のもっている美術作品で、将来の名作候補も、名品候補もあるぜい、と勝手に思い込んでいる。でなければ、大金(私にとっては)を払って購入したりはしない。しかし、問題は、作品の美術価値と商品価値が乖離していること。欧米の富豪の間ではキッチン絵画というものがある。台所に飾るに相応しい絵画のことで、お値段は一千万円単位。つまり一億円未満の絵画のこと。それを考えたら、日本人の絵画なんぞ台所どころかトイレに相応しい。まあ、マネー・ゲーム(投機)で動く相場向きの絵画なんぞ、こちらは興味も関心もない。パブロ・ピカソの絵画が最近落ち目というニュースは、美術価値からしても下落は遅すぎたと思う。高額美術品の市場ほどわからないものはない。富裕層にとっての百億円は、私にとっての百万円に相当すると思う。今は百万円を出して美術品を買おうとは全然思わない。十万円でも考え込む。数万円の作品でも迷う。今は老後の資金のことしか念頭にない。同時に、数万円を出してでも購入したい(!)と購入欲をそそる美術作品に哀しいかな、出合わない。私の考では現在、名作、名品と称賛されている作品も、将来の地位まではわからない。価値観は時代時代で変わる。時代の荒波を乗り越えて不動の評価を得る作品は、じつに運がいいといえる。
私のもっている美術作品で何点が将来も、いや将来には高い評価を得るだろうか。そんなことを思うと弱気になり、気が遠くなる。死後のことだし、考えても始まらない。ただ、この作品群の何点かを気に入り、大事にしてくれる方のところへ届けば、幸甚だ。作品も幸せだ。
某人気画家の死後、倉庫に大量にある絵を重機で破壊したと聞いた。相続税対策だという。在庫の絵は商品として評価され、税金がかかる。それで思い出すのは北一明の発言。
「俺の作品は出回っていないから(税務署は)商品価値がわからない」
そうかも。そうだろう。
一日大雨。家こもり。