『アートの力』再読・二(閑人亭日録)

 マルクス・ガブリエル『アートの力──美的実在論』堀之内出版2023年4月28日 第一刷発行を少し再読。
 「パフォーマンスとしての解釈」を読んだ。

《 話がここまで進んだところで、次のような疑問が湧くかもしれない。解釈や想像は、そこでどんな役割を果たしているのか、と。アートについて哲学するなら、次の事実を考慮に入れる必要がある。つまり、私たちは決してアートを知覚のみで受容していない、という事実だ。(引用者・略)交響曲を理解すること、つまりそこに単なる雑音ではなく音楽を聴くということは、その構成(コンポジション)を聴き取るということだ。つまり、連続する音響現象を文節している、その規則を聴くことなのだ。 》75頁

《 アート作品はひとつの観念(アイディア)によって編成されており、それによってさまざまな感覚的要素を統合している彫刻は単なる対象(オブジェ)ではない。 》76頁

《 展示された彫刻は、うまい具合に加工された大理石やブロンズの塊ではなく、何らかの非物質的な構想にしたがって物質を配置している観念なのだ。 》77頁

《 注意すべき点は、彫刻が形を付与された物質と、非物質的観念の組み合わせ(コンポジション)であること、そして、その組み合わせ自体は物質的なものではないことだ。この作品には、少なくとも三つの要素が入り込んでいる。青銅と、形と、表現された観念である。ア-ト作品はこの三つの要素のどれにも還元できない。作品とはまさしく、青銅、形、表現された観念を一緒に張りあわせたもの、その組み合わせ(コンポジション)自体なのである。 》77頁

《 アートは、作品それぞれが諸要素のユニークな組み合わせ(意味の場)を成すという点で、ラディカルに自律している。(引用者・略)アートそれ自体は、制度ではないのである。 》78頁

《 楽譜が演奏を待つように、彫刻も存在するために解釈を待つ。 》80頁

《 ここで知覚が三項関係であることを思い出そう。知覚は、私たちと対象の間に位置し、現実にもうひとつ別の次元を加える。その第三の次元とは、関係の形式である。私たち人間も、多くの他の動物たちも、関係の形式のなかで対象を知覚する。その形式には、たとえば色や音、匂いや硬さ、サイズ、動きなどが含まれる。 》82-83頁

《 知覚自体と客体の間に結ばれる関係は、それ自体が実在の一部を成している。関係はそれ自体完全に現実なのである。知覚は私たちの頭のなかにあるわけではない。 》84頁

《 関係それ自体は、誰からでも知覚できる対象ではないのだ。 》85頁

《 アート作品は解釈抜きには存在しない。(引用者・略)アート作品を解釈するとは、作品を知覚したり、それについて考えたりすることである。 》90頁

《 アートは客体化された主観性である。ただしそれは、自己反省を引き起こすような対象を介して、現実のうちで自らを思考する思考なのだ。 》90頁

 朝、頼まれ用で待ち合わせの図書館へ歩いて行く。着けば汗~。ホールで座って待つ。まだ開館三十分、待つ間に続々と来館者。へえ~、こんなに来るんだ。孫を連れた知人女性から挨拶される。図書館を利用したことは殆どない。ずいぶん前、北一明の巻(第九巻)のある全百巻の陶芸全集「陶」京都書院を、全巻を閲覧しに来たことがあるくらい。北一明の陶芸作品の独自性を確認した。
 晩、故つりたくにこさんの夫、高橋氏からメール。つりたくにこ作品集のスペイン版がもうすぐ出版と。電話する。なんとポンピドゥー・センターの企画展(1964-2024 マンガ展)、つりたさんが評判と。嬉しい。今朝思い立ったことを伝える。来年六月の展示会は、「つりたくにこ 味戸ケイコ 二人展」にしたいと。快諾される。よかった!漫画のつりた 童画の味戸。二人の優れた個性が一層際立つ。1970年代を駆け抜けた作品展。夏バテなんて吹っ飛んだ。