『富澤赤黄男全句集』林檎屋の小冊子、山中智恵子の「青夜發孤狼」では、高柳重信と鷲巣繁男を挙げて記す。
《 赤黄男に欠けていたものは、この秀れた二人の弟子にある、言葉の旅の放下の自由であろうか。 》
『定本 鷲巣繁男詩集』国文社1971年限定初版は、昨日の『富澤赤黄男全句集』林檎屋とほぼ同じ造本。私好みの本。五百六十頁を越える浩瀚な本の大方は、日本離れした広壮な詩群に占められている。その題は例えば、詩集『わが心のなかのカテドラル』には「世界の崖の金ロ聖イォアンネース」「復活祭の中の孤独なエピグラムタ」「マルキオンの主題による七つの変容と一つの秘儀」「戦士・眩暈者・昏睡者・ダニールのためのシャンソン」などなど。副題は「ダニール・ワシリースキーの書・第参」。ダニールは鷲巣のギリシャ正教徒の霊名。ワシリースキーは鷲巣をロシア風にもじった戯称。英仏独露伊西希羅伯梵語に通じていたというから凄い。詩集『わが心のなかのカテドラル』巻末の「覚書」冒頭。
《 アルビジョア十字軍によって滅ぼされた南仏十二、三世紀のカタリ派は、アポクリファ「イザヤの幻想」を信奉したが、今その原典は異端の故に散逸し、エチオピア訳によつて僅かに我々の前に示されている。アポクリファとは「隠されたもの」に意である。 》
《 世界の古代語の多くに通じた上、現代外国語をも数々読みこなし、しかも不群の生活を守る鷲巣氏のうちには、端倪すべくもない、血肉と化した博大深遠な教養があるが、それが世の一切の教養人の華美軽浮とは無縁の、黒々とした影と思い足取りを持ちた詩の行として吐き出される原因は何か、われわれはさう疑はねばならぬ。 》 寺田透「鷲巣氏と僕」
この定本詩集には詩のほかに俳句と漢詩が収録されている。その後、歌集も上梓した。ここでは「亡き富澤赤黄男師に捧ぐ」と副題のある「舊句帖・石胎」抄から。
《 火口湖はただ淫靡なる冬日列ねて
絶壁に沿へば果なし蝶死ぬ天
地平線蟻越えゆきし記憶のみ
鶴わたる 旗ことごとく地に焚くべし
花束とピストル置かれ 不在の神
ぬらぬらと孤独の雌蕊 天は青
冬木みな背き立つのみ 汽笛(ふえ)鳴れど 》
鷲巣繁男歌集『蝦夷のわかれ』林檎屋1974年初版から。
《 死者は皆横顔なりき その夢の果ての廊下に貼りつきしまま
永遠を灯すごとくにランプといふかなしきものを中心に吊す
舌長き夏の犬來るこの道の果なきを行かむ今日を狂ふと 》
時間がたっぷりあるから、思い切って本で遊べる。でも、なんか在庫一掃、大棚ざらえのような。まあ、本があるってうれしいことだ。しかし、整理できていなくて探すのに一苦労。先だって某ブログで推奨されていた古山高麗雄『真吾の恋人』新潮社1996年初版帯付をブックオフで買った記憶があるけど、見つからない。きのう友だちから依頼され、貸す本をあれこれ選んでいて偶然見つけた。そこにあったのかあ。
昼前、ブックオフ長泉店で四冊。綾辻行人『奇面館の殺人』講談社ノベルス2012年初版帯付、東川篤哉『謎解きはディナーのあとで2』小学館2011年初版帯付、鮎川哲也・編『猫のミステリー傑作選』河出文庫1986年初版帯付、斎藤茂太『豆腐の如く』ちくま文庫1998年初版、計420円。