遺る絵、遺すべき絵

 昨日の岩本素白『素湯のような話』、素湯は「さゆ」と読む。昨夕、結婚した東京の女性から初メール。

《 越沼さんにもらった谷内六郎の絵日記 お気に入りの一冊になってます 》

 それはうれしい。しかし、何年も前のことなので覚えていない……。新潮文庫の『谷内六郎展覧会』1982年の『春』『夏』『秋』『冬・新年』の四冊に銅板画家林由紀子さんの東京での個展葉書二通を入れて郵送。胎教を考慮して『夢』の巻は今回見送り。私は初期の暗く寂しい絵が多い『夢』がいちばん好き。題が「自殺者」「白い病棟」「病気のネオン」「人さらいのあった晩」「じふてりあで死んだ子」「泣きながら帰った道」などなど。

 美大で教えていたという物故画家の絵を一緒に見て欲しいと頼まれ、知人の車で沼津市無人の住宅へ赴く。遺品の抽象画をどう扱うか親戚が迷っているという。一階には二階へ上げられなかった百号を優に超える大作がずらり。半分ほど見て、これはいかんなあ。ただ塗ってあるだけで、描き込まれている何かをほとんど感じ取ることがない。遺る絵、遺すべき絵、遺したい絵はほんとうに少ない。

 新聞にベテラン・シャンソン歌手ジュリエット・グレコが畏友故ジャック・ブレルの歌をカバーしたCD『ジャック・ブレルを歌う』発売の記事。久しぶりにジャック・ブレル Jacques BrelのLPアルバム『偉大なる魂の復活(原題:Les Marquises 』1977年を聴く。「眠れる街」「悲しみのオルリー」「涙」「永遠なれジョジョ」など、やはり胸を締めつけられる名唱だ。遺作となったこのアルバムの歌をグレコは歌っていない。グレコ86歳の歌唱は?
《 本作はブレルの35周忌に当たる2013年にパリで録音されました。 》
 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%82%92%E6%AD%8C%E3%81%86-%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B3/dp/B00GIA6CDA/ref=pd_sim_sbs_m_3

 ネットの見聞。

《 正義、法、権利、自由、尊厳、これら大げさな問題について考えなくてはならないのは、それら自体が最終目的だからではなく、それらが確保されることによって、日常の小さな幸せ、世界のひとかけらの美しさ、なんでもない普通のことの尊さを、みんなが手にすることができるためである。 》 森岡正博

《 そしてこの考え方は、カントやブッダとも違う。カントにとって大事なのは道徳法則への尊敬であり、ブッダにとってはこの世的な幸せや美しさの享受は迷いであるからだ。彼らに最高の敬意を払いつつも、彼らから袂を分かたねばならない。 》 森岡正博

 ネットのうなずき。

《 人生には未来しかないのだから過去の楽しかったことを考えてもしょうがないよ。 》

《 そもそも「雷に驚いて抱きつく」なんてのは、男にとっては夢かもしれんが、女にとっては計算である。 》 大矢博子