「時折、目に、耳にしたくなる」

 夕食時、午後五時半過ぎ(早!)にテレビをつけると和久井映見のCM「一度は食べていただきたい熟成 チーズ鱈」が目に入る。しょうがねえなあ、昨日近所のスーパーで購入。昨夜、赤ワインのつまみに試食。ん? これいける。安物の赤ワインに合う。しばらくは買うかな。
 https://www.youtube.com/watch?v=j5_K2Oamkso

 どうってことはないけれども何故か惹かれる絵がある。机上には『ヘッセ詩集 わたしの旅はどこへ?』 サンリオ・ギフトブック1977年初版。高柳佐知子の表紙の絵。ジャケット買いの一冊。味戸ケイコさんの 息を呑む深さも、牧村慶子さんの雲上に揺られえている雰囲気からも遠いが、何だろう。それが決して 傑作ではないと断言できるけれども、手元に置きたいモノがある。ステレオのカセットテープから流れている 来生(きつぎ)たかおの歌も、その仲間だ。高柳佐知子の原画を欲しいとは思わないし、来生たかおのCDを 改めて買おうとは思わない。けれども時折目にしたくなる、耳にしたくなる。
 昨日の五輪真弓と同じく、来生たかおは1980年代に最も人気のあった歌手だ。薬師丸ひろ子歌う『夢の途中』、 大橋純子歌う『シルエット・ロマンス』、中森明菜歌う『セカンド・ラブ』よりも作曲者の彼の歌のほうが好き。 五輪真弓の恋の終りの歌と違って、来生たかおの歌は大部分が現在進行中の恋。曲名は『あなただけGOOD NIGHT』 『マイ・ラグジュアリー・ナイト』『蜜月』『涙嫌い』『おだやかな構図』といった、東京近郊、アーバン・ ライフの満喫を想起させるものが多い。これを社会学的観点から1980年代の世相を分析することもできよう。 五輪真弓来生たかおも、1980年代のゴージャス、ラグジュアリーな局面を浮き立たせていると、観測できる。
 私は何を言いたいのだろう。高柳佐知子のウェブサイトでは田村セツコに触れていて、ええ、とやや驚く。 知人の商業美術作家田村映ニさんの親戚の人。最近田村セツコ水森亜土をよく目にする。まだ元気なのか、 と失礼だが思ってしまった。味戸ケイコさんも牧村慶子さんもそのように思われているようだ。これに吾妻ひでおも 入るかも。こうして見てくると、ベテラン健在というかなんというか、時代が一巡りした、という気がする。

 『ヘッセ詩集 わたしの旅はどこへ?』飯吉光夫・訳、最初の「恋うた」。

《  わたしは花になりたい
   そっと あなたがやってきて
   わたしを手につみとって
   あなたのものにしてくれる

   赤いブドウ酒にもなってみたい
   あまく あなたの口にそっと流れこんで
   すっかりあなたにとけこんで
   あなたとわたしを健康にする   》

 この詠み手は女性であろうか、男性であろうか……詮索はやめた。

 午後、松毛川の放置竹林伐採作業に参加。若い人たちに混じって汗をかいた。

 ネットの見聞。

《 「そう、そこなんです。オブジェとしての本──選び抜いた用紙に最高の印刷技術で再現される装画であり、 革やクロスの手触りであり、印刷の版組の美しさですよね。電子ではできないところを、徹底的に突き詰めるしか ないだろうと。そこを追求するしか、最終的に紙の本の存在価値というか生き残る道はないんじゃないかな、 と思っています」 》 東雅夫の幻妖ブックデジタル
 http://pdmagazine.jp/background/higashi-masao2/

 画像の『幻想と怪奇』は、先だって林由紀子さんのアトリエで拝見。渋くかつ豪華。でも欲しいとは思わなかった。 豪華限定本にはさほど興味が無い。上記『ヘッセ詩集 わたしの旅はどこへ?』のような安価な本が好み。 装飾を施された額縁に収まった厚塗りの油絵には全く惹かれないのも同じ性向か。

《 このミスや文春のランキングの最大の価値は「当時何が評価されていたのかが誰でも参照可能なデータとして 残る」という歴史資料としての価値だと思う CDと違って売上げランキングが存在しない本は「過去の人気作・ 高評価作」を遡って調べることが難しいのでこの価値は計り知れない。 》

 ネットの拾いもの。

《 高齢の住職が寝てる猫をスリッパと間違えて履こうとしていました。猫はうんざりな顔をしてました。 皆さんも気をつけましょう。 》

《 LINEが流出する昼ドラもアリだな。 》