美術を好きまたは愛着をもつ人は、日本ではどれほどいるのだろう。自分を飾るための一手段と考えている人が かなりいるのでは、と思う。某美術館の某展覧会へ行ったことを誇らしげに言う人は、作品のどこに惹かれたかは、 ほとんど話題にしない。旧知の女性画家は、地元三島には絵を買うという発想の人がほとんどいない、と言う。
K美術館を十五年余りやった。遠方、海外からは高く評価されたけれども、地元では存在すら知られなかった。 当初から予想はしていたが、美術に愛着のある人があまりに少なかった。東京でやれば、と勧める方もいたが、そんな 資金はない。だからといって後悔はしていないし、大きな公開は自分からはもうしないだろう。効果のない公開は疲れる。 ごく少数だが価値をわかってくれる人がいる、それでいい。
美術作品が高額な商品として流通するにはビジネスに徹することが必須。そのためには美術作品に愛着のないことが 必要条件。愛着がなければ、後はいかに高く売り込みむかの戦略を練る。ブックオフの創始者は本に愛着がなかったから、 本の価値ではなく、本が古いか新しいかだけが判断基準だったからビジネスとして成功した。それを見て、アートオフを やろうかと空想した。モデルケースをいろいろ考えて、尽十方敵ばかり、となりそうなので止めた。
K美術館を開く前は食べ物屋を営んでいた。商売が好きではなかったから、客が望む食べ物を提供し繁盛した。閉店して K美術館を開いた。日持ちのしない商品、毎日が勝負の店売りから三十年先五十年先を見据えた美術館へ。今は知られないが、 私の死後評価されるだろうと判断した美術作品を収集、展示した。さて将来はゴミか、大化けして名品か。審美眼が試される。 見届けられないのが、やや心残り。一生、夢の途中だ。
http://web.thn.jp/kbi/
毎日新聞夕刊に評論家山崎正和が政治学者京極純一への追悼文を寄稿している。その一文。
《 学者として氏に教わったことが多いが、今も銘記しているのは、「どんな理想も実現過程が示されていないものは 信用できない」という一言である。 》
で、思うこと。去年の七月三十一日、東京新聞夕刊に大きく載った北一明の記事。「知人ら 記念館設立計画」。
《 知人らが出身地の長野県飯田市で業績を伝える記念館を設立しようと準備を進めている。 》
それにしても、飯田市で亡くなった時、話題になったということは仄聞にも聞こえてこない。
ふと気づいた。「美術はお好き?」。どこかで聞いた科白だなあ……小泉喜美子『殺人はお好き?』だ。
ネットの見聞。
《 ブックオフの百円コーナーだけだろう逸見政孝を忘れないのは
わが街にもやっとTSUTAYAができましたこれからは荒廃しそうです 杉本秀 》
《 一日も早く身罷って頂きたし。身籠って頂きたし、と読み間違えた。 》
ネットの拾いもの。
《 倉庫の本を取りにいく必要があるのだが、寒いのでフードをすっぽりかぶった上に照明のないコンテナ倉庫で 懐中電灯片手に物色せねばならず、どう見ても倉庫荒らしなので断念。明日にしよう…。 》
《 娘はカトリック教会に併設された幼稚園に通っているのだけど、現在インフルエンザが席巻しており 「マリア(組)とイエス(組)がやられた」「いよいよミカエルもやばい」という会話が繰り広げられ、 終末っぽさが半端ない。 》