『悲歌と祝祷』再読

 4月27日に記した大岡信詩集『悲歌と祝祷』青土社1976年初版を再読。どんなふうに論じられているか検索。 ある人のブログに収録作「風の説」への三浦雅士の解説が転載されていた。
 http://hannah5.exblog.jp/5715994/
 三浦雅士の解説に出てくるエロチシズムなのだ。大岡信の詩でもどかしく感じるのは「エロチシズム」なのだ。 短歌の塚本邦雄、俳句の加藤郁乎の作品から受ける一種独特な「エロチシズム」に対して、大岡信のものは隔靴掻痒。 詩集最後の詩「少年」のように清潔といえばそれまでだが。私は不純な大人のエロチシズムが好き。
 「風の説」の三行の最終連に注目。掲載の詩では行が空いていないが、この三行が最終連。

   そしてたがひのあひだには
   もんどりうつて滑走し、あらゆる隙間を埋めることに熱中する透明な遊行者が
   ふかい空間の綱を張つてゐるのではないか。

 一昨日の5日の拙ブログで私は「対象全域に網をかけ、」と書いている。不思議な暗合だ。再読して印象深かった詩は 「渡る男」。例えばこんな連。

   おれは感じる
   いま ひとつの室内で
   ひとつぶの涙が
   ゆつくり重量を増し
   つひに落下せず
   瞼にふみとどまつてゐるのを!

 なぜかしら、昨日ふれたユダヤ人哲学者エマニュエル・レヴィナスを想起した。
 参考に4月27日の日録へのリンクを貼っておく。
 http://d.hatena.ne.jp/k-bijutukan/20160427

 ネットの見聞。

《 #いい階段 》
 https://twitter.com/hashtag/%E3%81%84%E3%81%84%E9%9A%8E%E6%AE%B5?src=hash

 私以外に階段マニアがこんなにいるとは。私の階段写真は、誰でも通れる外階段。体験して面白いのは、沼津港、 狩野川渡し船乗り場の急峻な堤防階段。猫はすいすいっと降りるけど。

 ネットの拾いもの。

《 IKEAで買ったシャワー用イスに睾丸はまる 》 ナリナリドットコム
 http://www.narinari.com/Nd/20160939604.html

《 新しい肩書きとして、「無知識人」というのはいいなと思うなど。地底人や最低人につながる俳味があるな、ウン。  》 赤城毅
 https://twitter.com/akagitsuyoshi/status/773158361860759553

《 取っ手のついた焼酎に手を出したら人生オワコンだと思うの。 》