知層を掘り抜く

 椹木野衣『震美術論』美術出版社2017年を読んで、ある鉱脈にぶち当たった印象を持ったが、それが何なのかわからぬまま明治時代を知りたくなり、『明治維新』 『近代国家の出発』『大日本帝国の試練』等を読んだ。そこで知ったのは、文学美術では窺い知れぬ、知識欲ある底辺民衆の姿だった。文学美術では知層の厚みは 知り得たが、知層の底を掘り抜いた地層までは、作家の眼差しは届かなかった、とそれまでの私の狭い経験から思った。色川大吉『明治の文化』での北村透谷の渇望と 深い絶望に心が震えた。そこまで読み込むとは。未読だった北村透谷の著作をいずれ読みたくなった。
 震美術があるのなら、震文学もありうる。このあたりは、再度『震美術論』を読み込まないと、トンチンカンな言説になりそうでコワイが、こんな言い方が口を出る その遠因は、大岡信の文学評論にどこかしら優等生じみた印象を拭えないからだ。大岡信への賛辞はいくらでも見られるが、賛辞転じて惨事になるかも、と。 そんな転倒は今の日本では起こり得ないが、賛辞ばかりでなく、大岡信の視野の境界、視線の限界を、も明示する論述を私は求める。そんな不埒な思いを密かに抱いて きたが、『震美術論』を読んで、これぞそれまでの美術論を揺さぶる新美術論の魁(さきがけ)いや幕開きだろうと震えて直感した。ま、あてにはならない直感だけど。
 また思いつきは美術家中島智の「文化のなかの野生」、小説家古川日出男の「野生の文学」へとつながってゆく。
 思い浮かぶままに綴った拙文なので恥ずかしいが、推敲なしの駄文も、たまにはいいかな、と思う。いや、それまでの拙文が推敲された文かい、と突っ込まれれば、 それはそれで自分勝手な独りよがりに赤面するのみだけど。大岡信を半世紀近く愛読してきた地元民のたわ言と、生温い眼差しで微笑してくだされ。

 朝、源兵衛川中流下流、下源兵衛橋〜水の苑緑地〜一本松までのヒメツルソバを抜く。昨夜の雨で土が緩んでいて根が楽に抜ける。土のう袋半分弱。減ったものだ。 帰宅。一汗。着替える。
 午前十一時、秋晴れの下、大通りは歩行者天国に。例年通りの人出。賑やか。午後四時の終了とともに一気に潮が引いたよう。

 ネット、いろいろ。

《 大岡信ことば館が11月末閉館へ 》 共同通信47
 https://this.kiji.is/298655973137269857

 岩本館長は、沼津市出身の洋画家坂部隆芳氏の展覧会をすると私にも言っていたが、反故に。

《  親「桃太郎」
  子「もっと菊地成孔っぽく」
  親「桃、仏語ではピッシェ。そのピッシェから生まれた少年が鬼退治に向かうと言うと非常にエディプスコンプレックス的なイメージですが、 『桃太郎』は本来、桃を食べて若返った老夫婦の話なんですね。つまり退行とアンチ・エイジングのアマルガムとして」 》 Kotetsu Shoichiro
 https://twitter.com/y0kotetsu/status/925414441448914945

《 イヴァンカ、金集めに来ただけじゃないか… 》 大野左紀子
 https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/926266004790902784

《 神奈川県警「そうだ!未解決事件全部こいつのせいにしちゃえ」 》