『〈現実〉とは何か』六(閑人亭日録)

 西郷甲矢人(はやと)/田口茂『〈現実〉とは何か  数学・哲学から始まる世界像の転換』筑摩選書2019年初版、「第五章 〈自由〉から現実を捉えなおす ─ 決定論から非可換確率論へ」前半を読んだ。

《 本章ではこれまでの議論を踏まえ、いわゆる「決定論」についての考察を通して自由についてさらに掘り下げて考えるところから始めてみたい。それにより、自由が 現実の核心を成すということが、より鮮明に見えてくるだろう。 》 190頁

《 このように、科学における法則というものは、「同じさを設定すること」に依存している。そして、どのような同じさを選ぶかということに絶対的に必然的な規準は 存在していない。まさに非規準的な選択にもとづいて法則が立ち現れるのであって、その逆ではないのである。 》 192頁

《 われわれが主張するのは、「決定論を否定しても因果性を否定することにはならない。自由と因果性は両立するし、結びついている」ということだからである。 》 202頁

《 一切何も前提せずに、ゼロから始める絶対的に自由な自発的主体のようなものを想定しているわけではなく、多様な前提条件によって様々に規定されながら、しかも そのなかで自由の余地を失わないのがわれわれの現実のあり方であると考えている。 》 204頁

《 要するに、比較不可能な出来事の生起が、起こった途端に比較可能になり、他の出来事と並列され、一つの布置を形づくる。これをわれわれは「非規準的選択」と呼んだのだった。 》 206頁

《 非規準的選択とは、「自由に置く」ことだが、それによって置かれたものは、もはや自由に変えることはできない。何かを選ばなければ何も始まらないが、選んだ途端に、 何かが決まる。そこには秩序があり、それを勝手に変えることはできない。[中略]ここからすると、先に論じた「自由と依存」の関係は、まさしくこの一般構造の一つの 現われであるとということが見えてくるのである。 》 207頁

 朝、向かいの桜家でロケ。私は源兵衛川中流部、水の苑緑地下流ヒメツルソバを抜く。雷井戸へ移り、そこのヒメツルソバを抜く。井戸の水が注ぐ四の宮川の茶碗のカケラ、ガラス片を拾う。帰宅。汗~。ロケ隊は撤収中。

 ネット、うろうろ。

《 桜と雪のコラボ
  滅多に見れない自然の奇跡です 》 Hiroki.Nose
https://twitter.com/hirokingraphy/status/1373946372886388739

《 国民年金保険料 》 ポメラニ・アン
https://twitter.com/pomepomekillyou/status/1374291901029916677

《 河井元法相が選挙買収を認めたけれども、河井陣営に注ぎ込まれた1億5000万円のうち、1億2000万円は市民が負担している政党助成金。そして、その当選によって 追加の6000万円が更に政党助成金から自民党に支払われている。河井氏とパンケーキを頬張り、選挙応援をした菅義偉首相には必ず返却させるべき。 》 異邦人
https://twitter.com/Narodovlastiye/status/1374290582240075777

《 人間ならそうは書かんという書き順なのが本当によい。 》 電動工具
https://twitter.com/QueHouxo/status/1373929365080309768