大岡信『生の昂揚としての美術』花神社2006年4月25日 初版第1刷を読み進める。
《 デザインは、その最も先鋭な表現においては、「美」とか「造形的完成」とかという基準によってではなく、作者の現実認識の新しさそのものによって人を打つことがありうるし、多くの作者がそのような方向を目指してもいるということ。そして、そのような特質をもつものとして評価もされるということ。反面、作者の意図を理解できず、作者の一人よがりを不快に思う公衆をも、デザインは必然的に生み出さざるを得ないだろう。 》 「ポスター、デザイン、そして詩」 294-295頁
《 私は自分自身がきわめて狭い視野と寛容ならざる趣味の持ち主であることを自覚しており、未知の世界を開拓している芸術家や芸術作品に対して、必ずしも常に素直に歓迎することはできない人間だが、それだけに自分が諸手をあげて賛成することができないような作品に出会った時、もしそこに何らかの独創性が感じられる場合には、次のようなことを思い起こすことにしている。 》 同 295頁
《 つまり人間は、いやおうなしに自分の出生した土地、場所によって、物の見方、考え方を縛られているのだ。 》 同 296頁
《 だが、簡単に百パーセント同意することはできないもの、しかもなんらかの輝かしい独創性の片鱗を明らかに感じさせるものが、一つでも多く私たちの前に存在するということこそ、かえって私たちに世界の大きさを感じとらせるのであり、世界にはまだ、知るべき価値のある未知のものがたくさんあるという、地球規模の喜びを私たちに与えてくれるのである。 》 同 296頁
《 柳宗悦の文章がわかり易いということは、この人の物の考え方に、今いったような意味での序列(ヒエラルキー)意識がないからにほかならない。 》 「柳 宗悦」 302頁
《 「直観」という言葉は柳宗悦が特に愛した言葉の一つだが、これもまた、単なる「観照」とは性質を異にする、行動的実践的な性質を本質とする洞察力にほかならなかった。 》 同 302頁
《 大学二年生という若さである。いかに彼が早熟の俊秀だったかが知れる。 》 同 313頁
《 むしろ宗悦はそれほどまでに、三・一運動に対する日本官憲の残虐な仕打ちに驚きと恥を感じ、朝鮮人の悲しみに自己を一体化しようとしたのだともいえよう。 》 同 323頁
《 朝鮮であれ沖縄であれ、その土地固有の生活があり、文化がある。そこにこそ健やかな美も、信も根づく。宗悦のこの態度、この認識は終生不動だった。そして彼の「朝鮮人を想ふ」以下の文章は、その認識が時にどれほど大きな敵を向うにまわして戦わねばならない所にまで、人を押しやってゆくかについての、感動的な証言として、私たちの前に今でも生きつづけている。 》 同 326頁
きょう読んだ最後の二篇、すごかった。大岡信像が、この二篇で一変。あらためて考え直さなくては。大岡信『生の昂揚としての美術』花神社、読了。・・・再読だった。
朝、源兵衛川中流、下源兵衛橋上流で茶碗のカケラ、ガラス片を拾う。近くの露木さんから脚立を借り、右岸の石垣の高所のヒメツルソバを抜く。やれやれ。無事終了。脚立を返し、四方山話をして帰宅。
ネット、うろうろ。
《 人間の人生の価値をどう考えるか?認識が違い過ぎる。科学者にも言える事だが、それ以上に芸術家の場合は、一時代の世相に上手に乗ってある層の人達から一時的人気を得るよりは、長く後の人々に感銘と影響を与える「ものに私はなりたい」のでは?実際、時代を先取りした芸術家の多くは生前は苦労した。 》 Norio Nakatsuji
https://twitter.com/norionakatsuji/status/1651868971837296642
《 吉田茂(麻生太郎の祖父)が戦後すぐ「日本人に民主主義ができるとおもっているのかね。私はそうは思わんね」と米軍の高官に言い放ったという事実は有名だが、その通りであることが証明されているのではないのか。まさに彼や彼の同僚たちの子孫によって。 》 佐々木 中
https://twitter.com/AtaruSasaki/status/1651574234504888322
《 それにしても、健康保険証の廃止に賛成したのも自民・公明・維新・国民、原発60年超運用に賛成したのも自民・公明・維新・国民で、入管法改正案に賛成しそうなのも自民・公明・維新・国民。 》 住友陽文
https://twitter.com/akisumitomo/status/1651567116238340096
《 入管法改正法案「命と権利」ないがしろ…衆院委で可決 「鎖国」状態のまま、子どもの救済策なし 》 東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/246941