自分の人生が始まる (閑人亭日録)

 大学卒業後、一年限りという約束で父母の甘味処『銀月』の仕込みを手伝った。半年経った十月の朝、父が心筋梗塞で急逝。一年後に東京へ戻り、仲間たちの起こした会社に勤める予定を、仕方なく諦めた。仲間からは「この店はお前のする仕事ではない」と言われた。が、従業員らを見捨てるわけにはいかず、一週間後再開。間口たった二間(3.6メートル)の店を繁盛させて閉店しようと決意。29歳で家を改築。翌年墓を日陰から日向へ移転。味戸ケイコさんへ、彼女の美術館を十五年後を目途に建てたいと手紙に認めた。

《 小さなわたしの美術館を建てる夢を育(はぐく)んでくれている青年がいる。手紙の数は百通を越えるというのに、いまだ一度も逢ったことのない友人。 》 味戸ケイコ『あじさいの少女』径書房1985年6月27日発行、「海と青年」90頁冒頭

 店を継いで四半世紀ほどずっと右肩上がりの売り上げを達成。今が潮時と、1997年1月15日閉店。自宅から一キロあまり西に95坪の土地を購入。1997年6月1日にk美術館を開館。一階が味戸ケイコさん、二階が北一明の作品を展示。すべて自分の得た収入で調達。団子屋が骨董屋とは物好きだね、と人づてに聞いた。日展の彫刻家からは「偉大なる変人」と言われた。まあ、毀誉褒貶どちらもあり。変人は、誉め言葉と解釈している。
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 やっと自分の人生が始まった。

 午後、源兵衛川中流、源兵衛橋上流の茶碗のカケラ、ガラス片などを拾い、石垣のヒメツルソバを抜く。帰宅。汗ばむ。