奥野淑子 内田公雄(閑人亭日録)

 奥野淑子(きよこ)の木口木版画(黒白)と故内田公雄(きみお)のアクリル画(多色)を並べて鑑賞。奥野『MELODIST』(30x20cm)と内田『無題 '87』(22x15cm)、作品は小さいが、画格は大きい。この二点、去年十一月、三嶋大社宝物館ギャラリーで開催した「三島ゆかりの作家展」で展示した。事前に報道関係などに全くPRしなかったが、たった四日間で二百人を超える人が来場。賑やかだった。来場者は私の見た限りでは、この二作に殆ど注目しなかった。ちょっとガッカリした。「あ、この風景知っている」という感想ばかりが漏れ聞こえてきた。まあ、一般はそんなものかなあと気を取り直した。
 内田の、古代の楔形文字のような形がびっしり描かれた石碑の銘文をぐっと縮小してこと細かく筆写したような文学的な絵『無題 '87』。奥野の梟とギターが融合、合体して音楽を奏でているような不思議に音楽的な『MELODIST』。緻密さでは好一対。『無題 '87』には一筆一筆が一筆入魂といった息詰まる緊張感(と高揚)を感じる。『MELODIST』には流麗な彫り、点描のような彫り、と心の赴くままに自在に彫刻していく爽快さを感じる。並べてみて二人の制作姿勢の違いが鮮明になる。どちらもとても手が込んでいるが、では、自分が真似したいか、というと無理無理。そんな根気も根性もない。一筆、一彫りを間違えれば、ああ…。そのスリリングな制作工程を想像すると、ただ脱帽。感嘆。しかし、手が込んでいる、細密なら良いというわけではない。最終的には作品の質が問われる。技術だけじゃ駄目なんです。制作の苦労を感じさせない品質の良さがまず求められる。一目、瞠目、見る者をぐっと惹きつける魅力が必須。まずは作品そのものの魅力。
 作品そのものを直視して鑑賞する、という見方が日本の一般人にはないらしい。味戸ケイコさんの場合もそうだった。味戸ケイコって、単なる絵本画家と軽く見ていた美術教室と予備校を経営している知人は、雑誌『美術手帖』に椹木野衣の「レビュー」で現代美術家の一人と評価すべき云々と掲載されて即、掌を返したように態度が変わった。情けないが、これが日本の美術界隈の現状。嘆いてもしょうがないが。
 コーヒーを淹れる。苦く味わい深い。
 ふと、木口木版画『MELODIST』を床の間に置いてある諏訪蘇山(三代?四代?)の青瓷花瓶の横に置いてみた。やや、じつに合う。白木の額、白地のマットに白黒の流麗な線の白黒木版画と、さり気なくきりっと立つ薄い口縁、すっきり端正な造形の青瓷花瓶が見事に交響している。いやあ、組合わせの妙、とはこのことか。しばし見惚れる。