「失われた地平線」

 ジェームズ・ヒルトン『失われた地平線』新潮文庫1996年14刷を読んだ。1933年の発表。1931年、インド北部で勃発した争乱を逃れて男三人女一人の乗った飛行機は、ニセの操縦士によってチベットの山深くにあるシャングリ・ラと呼ばれる桃源郷のような場所へ連れ去られた。そこにある美しいラマ教の寺院。歓待される彼らは何のために拉致されたのか。物語はミステリアスに進む。波乱万丈な展開ではないのに、活写された人物模様とじつに巧みな情景描写。絵巻物のように謎が謎のままにつづき、思わず惹き込まれる。

《 呼吸と歩行と思考とを一つに融和させたリズムに調子を合せて、全身が動いてゆくのだった。 》 「第三章」84頁

 このくだりには昨日の工藤直子さんの詩を想起。

《 「もし君に僕と同じぐらいの経験があったら、人間の一生のうちには、なんら策を講じないで手をつかねているのが一番賢明な場合があることが、君にもわかっていたろうと思うんだがね。」 》 「第三章」88頁

 某ギャラリーの新任女子学芸員に伝えたかった言葉だ。函南町長光寺の新住職柿沼忍昭氏はよく心得ていた。

《 なにもかもが不思議な状態のうちにいたので、個々の事物の不思議さがもはや感じられなくなるときがきたのだ……彼はそう悟った。 》 「第九章」224頁

《 図書室で読書に耽っているとき、モッツァルトの曲を演奏しているときなどに、しばしば彼は底深く精神的な感激が胸に滲透してゆくのを感じた。まるでシャングリ・ラが、時の流れの魔術から蒸留されて、老衰や死から奇跡的に保護されている、いわば生命の本質であるかのように思われるのだった。 》 「第九章」234頁

《 「青い月」が彼を虜にし、もはや逃れられなくしてしまったのだ。四辺の山は近づきがたい清純さの障壁となって光り輝き、まぶしさに眼を転じて下界を見渡せば、緑一色の谷間が眼下に横たわっていて、視界に入るなにもかもがもう譬えようもない美しさだった。 》 「第十章」244頁

 そして急転直下、結末へ。

 翻訳刊行は1959年。けれども増野正衛の訳文は古びていない。悠々迫らざる語り口と映画的な情景描写を見事な日本語に移している。読書を愉しんだ。

 ブックオフ長泉店で三冊。荒俣宏・編著『大都会隠居術』光文社文庫1996年初版、松岡正剛『フラジャイル』ちくま学芸文庫2008年3刷、山田風太郎『あと千回の晩飯』朝日文庫2000年初版、計315円。『大都会隠居術』には平井呈一のことが出ているので。『あと千回の晩飯』は、「昭和の番付」で美女の一位に美智子皇后は当然として、二位に女優の轟夕起子を挙げているので。『フラジャイル』は元本で読んでいるけど、高橋睦郎の解説を読んで。

《 たとえば、私たちの国は国際社会においてこれまで強者の言うことばかり聞いてきたが、こんどは自身強者の列に加わろうとして、これまで言うことを聞いてきた強者に拒まれている。むしろ、自身弱々しい者として弱者の弱音を聞くべきなのに。 》

 ネットの見聞。

《 新刊本、古本を問わず、本屋というのは、棚には店主の年齢(世代)と趣味が出てしまい、つくづくメディアだなぁと思う。 》