『 日本人の心の歴史 補遺 』つづき

 唐木順三『日本人の心の歴史 補遺』筑摩書房1972年初版を読了。全十章のうち、「七 文智尼と 一絲文守、並びにその周辺」「八 桂御所の問題点」は、考証が事細かに及び、浅学の者にはちと 難しゅうて難儀する。前者は後半部飛ばし読み也。「九 永井荷風」「十 梶井基次郎の風物」が 近代。この二編は無くてもよい気がする。「補遺」は「補遺」だった。

 午後、芹沢光治良記念館(沼津の未来の巨匠たち)〜ギャラリーOKUWA(栗の木と漆の生活具) 〜庄司美術館(呉一騏水墨画展)を廻る。どれもきょうが初日。呉一騏氏夫妻と久闊を叙す。今回の 展示はいい。やや詰め過ぎの感はあるが、見応え十分。気合が入っている。墨黒の息を呑むような深い 色相。新生面だろう。私が前世紀末に書いた拙論がパンフレットに全文転載されている。 他者の論より私の拙論が一番と言われる。また、日本美術の案内で知られる美術評論家の名を挙げ、 私に比べて彼は理解が浅い、と。そういえば彼の本は持っていない。
 「呉一騏 水墨画の新次元」 http://web.thn.jp/kbi/go2.htm
 「呉一騏 水墨画の21世紀へ」 http://web.thn.jp/kbi/go3.htm
 呉一騏HP http://www10.plala.or.jp/goikki/

 晩、祭り囃子の練習が始まる。これに苦情を言い立てる三島人はいない。

 床の上に放置していた毎日新聞、12日の「今週の本棚」、ジョン・リチャードソン『ピカソ I -神童 1881-1906 』白水社池澤夏樹の評を読む。

《 二十代なかばで競争相手と見なしていたマティスに対して、晩年のピカソは「わたしは 素描に熟達し、色彩を求めている。あなたは色彩に熟達し、素描を求めている」と言ったという。 初期のピカソは「料理人がスープに塩を加える」のと同じように構図の中に色彩を加えるに 過ぎなかったらしい。彼は色彩を努力で学んだのだ。 》

 ピカソの素描は上手い、うますぎる。マチスの素描、そういえば見たことがない。

 ネットの拾いもの。

《 私たちにとって、安全保障上の問題とは、中国でもなければドローンでもなく、
  安倍である。自覚してくれ、頼むから。

  無理だろうなあ。  》

《 なんかドローンとした展開になってきちゃったね…… 》