閑人亭日録

橋本治『人はなぜ「美しい」がわかるのか』八

 橋本治『人はなぜ「美しい」がわかるのか』ちくま新書2002年初版を読了。「あとがきのようなおまけ」がすごい。

《 前近代の制度社会に「孤独」がないのは、この基本単位が「個なる人」ではなくて、「家」という人の集合体だからです。だからこそ、前近代の制度社会は、 「孤独」を許しません。 》 253頁

《 「孤独」というルートを拓きながら、近代はその行先を相変わらずの制度社会=前近代に設定したままだったのです。 》 256頁

《 「孤独に転落したくなかったら、この制度に従順であれ」とする点で、二十世紀後半の日本社会は、まさしく「近代の装いをまとった前近代の制度社会」となった のです。 》 257頁

《 「自立」は、「近代の装いをまとった前近代的制度社会」を目指しません。目指すのは、「近代の非制度社会」とか「脱制度社会」という、まだ存在しないものです 。 》 257頁

《 「自立」とは近代が発見した、「孤独」の新たなる後継者です。 》 257頁

《 そして、「自立」は本来、「孤独」の前にあります。 》 258頁

《 「個の中に社会建設の方向性はある──あらねばならない」と考えなければなりません。そう考えなければ、「孤独」と同じように、「自立」もまた無意味に なります。そして、この考え方を採用しなければ、人の作るどの社会も、「人として生きている実感を欠く社会」になってしまいます。 》 258頁

 なんとも訴求力のある文章だ。励まされる実感。そして今、先見の書、予言の書としてもある。

《 二十一世紀初頭の日本社会の混乱は、官僚の腐敗と経済の不振を歴然とさせたまま、「古くなってしまった政治」をあぶり出します。古くなってしまったのは 「政治」だけなのか? 》 256頁

 今もってその泥沼から抜け出せなず、さらに沈んでいく日本。畏るべし、橋本治。合掌。

 友だちと各駅停車に乗り静岡駅下車。芹沢けい介美術館へ行く。常設展示では松の絵を描いた二つの扇子が縦横に整列している作品がイチバンで一致。売店には その絵葉書はなかった。残念。企画展示の仮面と服飾は見応え十分。土着から立ち上がる生命力がガンガン漲っている。評論家の故平岡正明の「土着とは靴底に土が ついていること」といった言葉が浮かぶ。現代アートの多くが貧相に見えるのは、彼らの作品には土着がないから。見ごたえのある展示だが、現地の人がそれを装着、 着ている写真が一点もないことが残念、点睛を欠く。白井晟一設計の石造りの堂々たる建物は一見の価値あり。まあ、建物を見たくて行った。
 https://www.seribi.jp/

 ネット、うろうろ。

《 チラシに掲載されている白井晟一《原爆堂》は不出品となりました。 》 「もうひとつの建築史」埼玉県立近代美術館
 http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=386

《 描きました。ああ、壇上で描きたかった… 》 会田誠
 https://twitter.com/makotoaida/status/1091702046607106048

 平山郁夫『広島生変図』六曲一双1979年を下敷きにしていると誰も指摘しないのかな。そこが見どころ。

《 ある程度知識が増えると、「これは簡単には言えないぞ」となるんだけど、もう少し進むと、簡単には言えないけれどもここくらいは言えるし、言っておくべき、 みたいな見極めができるようになる、のかもしれない。 》 倉下 忠憲
 https://twitter.com/rashita2/status/1091597949451218944

《 10冊くらい本を買って1冊も読み切らないうちに次の10冊買ってしまう人生 》 寒い能町みね子
 https://twitter.com/nmcmnc/status/1091323553473912832

《 お前が国難 》