閑人亭日録

岡崎乾二郎『抽象の力』六

 岡崎乾二郎『抽象の力』亜紀書房2018年初版、「第II部 抽象の力 補論」より「先行するF」を読んだ。
 つづく「戦後美術の楔石としての内間安セイ(王ヘンに星)の仕事」を読んだ。

《 すなわち水彩画の魅力とはおおよそスケッチの魅力なのだ。不安定な色彩の滲み、揺らぐ形態に、制作過程で起こった画家の感覚の移りゆき、思考の変化がそのまま 反映している。 》 214頁

《 版画技術とは単なる複製メディアではない。複数の異質な空間そして時間を一枚に重ねる能力だったのだ。 》 220頁

 論題の版画についての論述に書きたいこと多々あるけど、ここは書かずに。
 つづく「明晰、曇りなき霧 晴れやかで軽快なる水の微粒子、の運動」を読んだ。読み応え、あり過ぎ。引用はちょっと。

《 自然において形態は変化、成長を止めることはない。形態の秘密はそのさまざまな時間サイクルが作り出す生成変化の構造そのものにあるのであって、あおれを静止 させる認識の側にあるのではに。むしろひ人は、この形態の生成変化から構造を読み取り、自身の止まった認識こそを(時間を組み込み)生成変化させねばならない。 》  232-233頁

《 主観とは、いわば形態の輪郭を引き寄せ、まとめているところの重心=焦点である。 》 234頁

《 形態学はこうして政治的な力学へも接続され展開する。印象派キュビズム(そもそもキュビズムこそは表象の形式ではなく、形態学として理解されるべきだ)も この流れに沿っていた。 》 234頁

《 創造とは、人の認識に沿って自然を形態として整えることではない。それに対峙し観測する人間の認識こそを転換させることにある。 》 247頁

 「第II部 抽象の力 補論」読了。「第III部 メタボリズム - 自然弁証法」へつづく。

 昨日のレコード『 Mal Waldron & Steve Lacy / Journey Without End 』が素晴らしく、ぐいぐい惹き込まれ、三度も聴いてしまった。その勢いでマル・ウォドロンの 初来日録音レコード『TOKYO BOUND』1970年2月12日録音を久し振りに聴く。音量をぐっと上げる。漆黒の空間を音の閃光が縦横に切り裂く、気迫のダイナミック・ビート。 輝ける漆黒の怒涛、の快感。四十九年前よりずっと深く強く心身を揺さぶる。おお、ジャズだ。北一明の耀変茶碗を連想。
 https://www.discogs.com/ja/Mal-Waldron-Tokyo-Bound/release/2176611
  A1 Japanese Island
  A2 Rock One For Jinbo San
  B1 Atomic Energy
  B2 Mount Fujiyama

 B面1曲目の「Atomic Energy」についてマルは語る。

《 この曲を作ったのは、原子兵器に向けられるこの種の警告の可能なかぎりの結果を示すためであった。演奏の終結部分にかけて描かれた全世界が原子爆弾の爆発に よる連鎖反応によって破壊つくされつくしていくさまを是非聴きとって欲しい。 》

 映画『シン・ゴジラ』を連想した。そして「富士山」。純白の富士山のなだらかな稜線を遠く見上げ、濃やかに繊細に、美しい旋律を描き出すピアノ音。

 午前、源兵衛川の月例清掃へ。水の苑緑地・かわせみ橋下流の茶碗のカケラ、ガラス片を拾う。川岸の御婦人から「寒くないですか」と。「水のほうが温かいです」と 応える。重くなったので帰宅。汗ばんでいる。コーヒーが美味い。
 曇天の夕方、友だちからメール

《  熊谷守一
  モリのいる場所
  まあまあかな? 》

 友だちは私の昨日のブログを読んでいない。樹木希林出演でビデオ屋から借りてきた。なんという共時性

 ネット、うろうろ。

《 CapsLockが押される理由、第1位「間違って押した」、第2位「間違って押したのを戻すために押した」 》 おやつ
 https://twitter.com/Oyatsu_Co/status/1093851913030979584

《 NHKニュースには「今日の安倍総理」というコーナーが完璧に用意されているらしい。どんな中身のない答弁でも長々と流すし、 それもない時はゴルフだの散歩だのまで、ご親切なことだ。安倍コーナーディレクターはきっと出世コースなんだろうな。 》 鈴木 耕
 https://twitter.com/kou_1970/status/1092703651930398722