『社会的共通資本』再読・四(閑人亭日録)

 宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書2000年11月20日第1刷発行、[第3章 都市を考える]を読んだ。

《 近代的都市計画はこのように、都市に住んで、生活を営む生活者としての人間をほとんど無視して、都市計画者自身がもっている単元的、画一的で浅薄な人間像を そのまま投影したものとなってしまった。この傾向は、日本では土地制度の欠陥によって増幅されて、日本の都市の非人間性をいっそう顕著なものとしているように 思われる。 》 99頁

《 もともと文化というとき、人間と人間との接触が、その、もっとも大切な契機となっている。 》 102頁

《 ル・コルビュジエの「輝ける都市」の人間的貧困と文化的俗悪とを的確に指摘し、その矛盾を明らかにしたのが、ジェーン・ジェイコブスであった。 》 115頁

《 第一の原則は、街路の幅はできるだけせまく、曲がっていて、一ブロックの長さは短い方が望ましいというものである。(引用者・略)
  第二の原則は、再開発にさいして古い建物ができるだけ多く残るように配慮しなければならないということである。(引用者・略) 
  第三の原則は、都市の多様性にかんするものである。都市の各地区には必ず二つないしはそれ以上の帰納をもっていなければならないという条件である。(引用者・略)
  第四の原則は、都市の各地区は、人口密度が十分高くなっているように計画されなければならないということである。 》 120頁

《 人間的魅力を備えた都市は、まずなによりも歩くということを前提としてつくられなければならない。 》 121頁

 三十年あまり前に書いた拙論『「これからの三島市のまちづくりについて ──市制百周年に向けて」「水と緑の情感都市へ」』を思い出す。
 http://web.thn.jp/kbi/mizutomidori.htm
 今読んでも全く古くない、と自負する。拙論の十年後に宇沢弘文『社会的共通資本』が出たのか。感慨深い。

 朝、源兵衛川中流部、三石神社の側壁のヒメツルソバを抜く。流水量が多く、浅いところでも長靴ギリギリ。転んだらアウト。土のう袋半分ほど。やれやれ。

 ネット、うろうろ。

《 還暦近くになって貧窮問答歌みたいなことになるとは、バブルの頃は想像もしなかった。

  「消費税アップ」「年金納付5年延長」が議論に…SNSでは「むしり取られる話しか出てこない」と怒りの大合唱(SmartFLASH)
  #Yahooニュース 》 マキエマキ
https://twitter.com/makiemaki50/status/1585650174214696960

《 三島駅南口東街区再開発・市長が市有地従前評価額の公表方針示さず 》 グラウンドワーク三島
http://www.gwmishima.jp/modules/information/index.php?lid=2383&cid=1

《 三島駅南口東街区再開発の計画図 》 グラウンドワーク三島
http://www.gwmishima.jp/modules/tubuyaki/index.php?lid=867&cid=1

《 >旧統一教会の推薦確認書 世耕氏「こういう普通のことならサイン」

  統一教会と約束をとり交わすことが、普通? 》 Koichi Kawakami, 川上浩一
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1585566201744195585

《 源馬「#NoHeartNoSNS をご存じでしょうか?」
  杉田「存じ上げません」
  源馬「大丈夫ですか?総務省がやってるものです。総務省SNSで誹謗中傷が広まらないようにというアクションです」
  杉田水脈「質問通告いただいておりませんので」
  この質疑1つで杉田水脈氏が総務政務官不適任と言うことが分かる 》 佐藤倫子
https://twitter.com/sato__michiko/status/1585421885453451264