『現代の美術 art now 別巻 現代美術の思想』二(閑人亭日録)

 『現代の美術 art now 別巻 現代美術の思想』講談社(第13回配本)1972年5月20日第1刷発行、高階秀爾中原佑介 編を少し読んだ。
 〔1〕ジョルジュ・デュテュイ「イメージをなくすことはできるか」1961年発表
《 この間の戦争が終わってまもなく、造形美術の領域でこれまでに例のない断絶の生じたことがわれわれに通告された。ほとんどみなアメリカ生まれ、ないしはアメリカに住む画家の一団が、当時、過去の白紙還元(タブラ・ラーサ)を試みていたのである。アルタミラの洞窟壁画の尖鋭なリアリズムから、今世紀になって案出されたさまざまの形象にいたるまで、およそ絵画というものが成り立つための対象または口実となりえた一切のものを、それによったのでは絵画はうわっつらの経験にすぎない、二番煎じの認識にすぎないとして、完全に捨て去るというのであった。(引用者・略)
  このような主張は、したがって、絵画にとって恒久不変の伝統的な「よりどころ」の一つであったもの、すなわち主題を拒否することを説く。 》20頁

《 イメージとは、芸術家とその作品の享受者とを現実それ自体から引き離す距離(へだたり)であると同時に、彼らをその現実に近づかせてくれる径(みち)でもあるのではないか。離別のしるしであると同時に統合のしるしなのではないか。 》21頁

《 今日では、あの本来の目的から切り離されて枯渇した主題の表現というものをあわせ呑みこんでしまった幾何学的傾向の絵画と、他方、単なる動作の本能的投射にみずからを限定して、ほんとうならその幾何学的に対立するもののように思われる「具体」絵画とが、究極的には同一のものである拒否において互いに混じり合ってしまっている。抽象美術がまず最初に、精神と物の描写とを結びつける舫索(もやいづな)を断ち切って、はじめて、アクション・ペインティングは、美術と知的なものとの間の一切のつながりをなくすなどと主張することもできるようになったのである。こうして絵画は媒体なしの純粋の対決の場となり、眼はいわばいまはじめて現実の真底に向けられるといったかたちになった。 》21頁

《 しかし、ここで忘れることができないのは、過去のある種の画家たちが絵画とイメージとの結合をしなやかにし、ゆるめて、効果をあげることができたとしても、彼らはけっして知性を飛ばして短絡させ、石の結合をなくしてしまうなどということはなかった、ということである。その結びつきがたった一本の糸でしかなくなっても、その糸はやはり導線の働きをしたのである。ところが新しい絵画は、この点で前例のないものだった。イメージは消え失せ、それと同時にあの真の現実と絵画の間の距離(へだたり)も消え失せたのである。爾後、どこに精神の働く余地があろうか。 》21頁

《 たしかに、この新しい絵画がわれわれに差しだしているのは、ある一つの主題や一つのイメージをめぐって始まる対話ではもはやないのだ。 》22頁

《 それゆえ問題は、これほどまでに押しひろめられた自由裁量の可能性は、いったいどのような路へとわれわれを向かわせようとするのかという点である。 》22頁

《 具象画は手段であった。ノン・フィギュラティフはそれ自体が目的である。したがって、アクション・ペインティングの衝撃は鑑賞者にほとんど不可避的に受動の態度を強いる。 》25頁

《 イメージのない絵画は、外から押しつけられるありきたりのイメージの攻撃に対し、当然無防備だ。(引用者・略)このような絵画はその出発の当初から、われわれの世界像やその世界を構成している物の像にかかわりをもたぬと宣言していたが、同時にそのわれわれのヴィジョンを変容させる力もないということである。 》27頁

《 われわれをいささかでも概念から解き放ち、われわれを概念に縛りつけている絆をゆるめるためには、日常の日々のなかで実はわれわれはたえず概念に従って生きているという事実を、少なくとも考慮に入れなければならないのだ。 》28頁

 〔1〕高階秀爾「手さぐりする絵画」
《 第二次大戦後に華々しく登場してきたアンフォルメル絵画やアクション・ペインティングなど、いわゆる「抒情的」ないしは「表現主義的」抽象絵画が、両大戦間の「古典的」抽象絵画と異なる最も本質的な点は、おそらくこの「造形性」への信頼の有無にあると言ってよいだろう。 》34頁

《 とすれば、アンフォルメルやアクション・ペインティングの画家たちは、先輩のカンディンスキーモンドリアンの持っていたような「造形性」という拠りどころすら持たなくなってしまったということになる。彼らが、「ジェスト」(動作)や「アクション」(行為)など、制作における残された唯一の明証性にその拠りどころを求めるよいうになったのも、当然のことと言えるだろう。 》34頁

《 「行為」ないしは「動作」が芸術の主体になった時から、歴史の上で大きな変化が起こった。すなわち、絵画は自己を支える実体としての「作品」を失ったのである。(引用者・略)しかしそのことは、芸術というものの在り方を変えさせ、その意味を改めて考え直させる結果をもたらしたのである。 》34頁

《 しかし、絵画が拠りどころをつぎつぎに失っていくにつれて、批評そのものも変質せざるを得なくなってきた。でき上った作品をある基準にもとづいて判定するというよりも、創造の過程そのものの意味をさぐり、いわば芸術家と共謀して創造の現場を手さぐりするところに、批評の成立するひとつの重要な根拠が生まれてきたのである。 》35頁

《 このことは、もちろん、第二次大戦後になって生まれてきた状況ではなく、少なくとも抽象芸術の登場とともに明らかになってきたことである。(引用者・略)すなわちそれらは、すでにでき上った結果よりも、その結果にいたるまでの道程においていっそう意味のある「作品」である。 》35頁

《 他方、あるべき存在としての拠りどころの喪失は、従来の自律的な、あえて言えば職人的な創造過程をも否定させることになった。技術批評の成立根拠を失わせたのと同じものが、技術そのものを失わせたのである。(この場合の「技術」とは、テクノロジーの意味ではなくて、メティエの意味であることは、改めて断るまでもあるまい。)このこともまた、「芸術作品」をその聖なる祭壇から引きずり下ろすのに役立った。両大戦間のダダ、シュルレアリスムの運動は、その最も端的な表われであったということができるであろう。 》35頁

《 とすれば、絵画は何よりもまず、人間から切り離されてしまった現実を取り戻すために、どこに拠りどころを求めるかということをさがしに、そして最初から手さぐりで出発しなければならないだろう。そしてそれは、おそらく、画家が周囲の世界とのかかわりあいにおいて自己の存在を確認するところにおいてのみ可能ななことである。 》36 頁

 〔1〕リチャード・ウォルハイム「ミニマル・アート」1965年発表
 二度読んでも、私には何とも読解できない。引用したい箇所もない。ふう~。私のオツムはこんなもの。