作品と作家

 篠田一士「日本の近代小説」集英社の「徳田秋声」の章。

「ぼくには、作品と作家の表裏一体などは、むしろいまわしいことだと思える。一如でないからこそ、作品は作品としての存在理由があり、作家は作家として、人並みの人間の生涯を送ることができるはずである。」187頁

 深く同感。人生から作品を鑑賞することの愚かさよ。

 田中克彦チョムスキー岩波現代文庫2000年(元版は1983年刊)を読んだ。ノーム・チョムスキーの言語理論への興味はあったが、彼の著作を読む機会はなかった。いきなり彼の言語理論への批判、それも枝葉ではなく根本への批判を読んだことになる。言語に少なからず興味をもっていた私からすれば、この田中克彦の批判には首肯できる。「七年の後に」という1990年の追記によると、反批判は殆どなく、黙殺のようだ。「チョムスキー教徒」は、無視黙殺するしかないだろう。ネットで少し調べてみたが、的外れなイチャモンばかり。「七年の後に」から。

チョムスキーは、近代言語学の成果を、三百年前の、凡庸で自己中心的な普遍主義に逆もどりさせてしまったのである。」

「この『チョムスキー』が現れてから三年後に、『チョムスキー小事典』というものが出版された。それを手にとってみたところ、あるページに『チョムスキーと家族たち』と説明のついた写真が掲載されていて、それはまるで、『御だんらん中の皇室一家』というような構図になっている。」

「家族アルバムのようなことが書かれている。いったいこのような情報が、チョムスキーの思想を理解するのに、どれだけの必然性をもっているのだろうか。」

 ブックオフ長泉店で三冊。有栖川有栖「虹果て村の秘密」講談社2003年初版、霞流一「夕陽はかえる」2007年初版帯付、松木武彦「日本の歴史 列島創世記」2007年初版帯付、計1000円。きょうは単行本三冊千円なので三冊買う。