9日(金)は臨時休館します。
以前深く感銘した「宇沢弘文 著作集1 社会的共通資本と社会的費用」岩波書店1994年初版の後半を再読。初読時には自動車中心社会への深い懐疑に、求めていた視点の転換の先達者を発見し、それこそ深い感銘を覚えたのだけれど、その時には気づかなかったはるか遠くを見据える視野の長さに今回は感服した。社会的共通資本とは。
≪このような意味で、社会的共通資本として分類されるようなものは、基礎教育、医療、基礎交通、道路、上下水道などの生活環境関連の社会資本をあげることができよう。さらに大気・河川・海洋・森林などの自然環境もまた、多くこのような社会的共通資本として分類されよう。≫「社会的共通資本の概念」199頁
≪このように私有されないで社会的に管理されているものは、社会的共通資本 Social Overhead Capital として、我々が生きて、生活していくための環境を構成しています。≫「国鉄解体と近代経済学」278頁
≪それらの恩恵を我々は受けています。もちろんすべてを無料で使っているわけではなくて、なんらかのかたちでの対価を払っているわけですが、それは市場で成立する価格ではなく、むしろ社会的に計画された価格を払っている。≫「国鉄解体と近代経済学」278頁
≪代表的な公共的な大量の交通機関である国鉄がもし分割・民営の結果、社会的共通資本としての機能を大きく阻害されるようなことになると、住みづらい不安定な社会になるのではないかという危惧をいだいています。≫「国鉄解体と近代経済学」288頁
≪西欧社会の底を流れている強い道徳観とか、社会に対する責任感、あるいは個人の尊厳性に対する信念が、日本の社会にはない。道徳的な基盤の弱いところに、強力な物質的なものを持ち込んできて、それが無批判に受け入れられている。あたかもサルが鉄砲を使うことを覚えたといった様相を呈しているのではないだろうか。≫「自動車政策は間違っている」 260頁
この帯付のきれいな本、新古書店で50円だった。明日へ続く。