面白かったのは、どうしてなのか

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。安西水丸和田誠『青豆とうふ』新潮文庫2011年初版、京極夏彦・選『スペシャル・ブレンド・ミステリー 謎004』講談社文庫2009年初版、計210円。

 昨夕は小雨の中を徒歩で帰宅。ふうふう汗かいた。今朝は晴天。心地よい風の中を徒歩。気持ちよい汗をかいた。

 ご近所の悠々自適らしい旦那さんは、朝な夕な、首に紐のついた猫を遊ばせている。遊ぶというより猫の日なたぼっこに付き合っている。老猫なのだろうか、お似合いである。

 早川良一郎『さみしいネコ』みすず書房2005年初版を面白く読んだ。感想は明日。

《 批評の出発点は、「この小説が面白かったのは、どうしてなのか」という自問にある。 》笠井潔

 先だって白砂勝敏氏が、新作の木彫オブジェを持ってきた。一目で面白い、と感じた。何故なのか。その理由を以前下記のように表現した。

《 そうして完成した木彫椅子は、元の樹幹が有していた成長の特徴を、生命の勢いを、自ずから体現している。 》

 誰も見たことがないかたちの木彫造形。全く不思議な彫り込みで、手でふれてずっと見ていたくなる。造形といっても、作り手の造形への意思による力技が感じられない。作り手は木の気持ちを感じ取り、その木にそって彫り進み、そうして彫りあがった造形、としか思えない。彼にしか出来ないかたち。木彫の椅子という制約から解放され、彫刻はさらに面白くなった。樹幹との深い交感から生まれた不思議な造形は、さらに進化、深化してゆくにちがいない。

 ネットの見聞。

《 最近、池内紀恩地孝四郎ー一つの伝記』(幻戯書房)が巷の話題になっているらしい。価格は6000円以上で馬鹿高く、とても買えない。恩地孝四郎の版画といっても、実は伊上凡骨がかなり彫っているが、このことが出てくるのだろうか。恩地の師である竹久夢二の版画の摺師平井孝一に直接会い、「夢二の仕事はたしか『山によする』が最初ででなかったか。それ以来夢二のほか恩地孝四郎のものなど伊上凡骨が彫ったものの刷りはたいがい平井さんの所にまわってきた」と青江瞬二郎が『竹久夢二』(昭和45年)に書いているが。 》

 こういう書き込みには即反応。伊上凡骨(1875〜1933)、名彫り師と謳われたひと。当美術館所蔵の石井柏亭木版画も手がけている。

 岡崎武志は書評で書いている。

《 私がもっとも驚いたのは、複数枚刷ることが前提である「版画」技法において、恩地は「しばしば一点しか摺らなかった」ことだ。「摺りは表現そのものであって、いわゆる印刷の効用とは無関係」と著者は恩地の独自性を代弁してことばにする。 》

《 著者には美術史家の派閥のしがらみも、定見にしばられる不自由さもない。豊富な図版を楽しみながら、学校では教わらない、もう一つの美術史をたどっていくことになる。 》

 ネットのうなずき。

《 また今頃になって文科省は校庭の被曝許容基準を1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げたことの「不手際」を認めました。責任逃れの典型的なパターン。情報を隠し、実は…、実は…と修正して責任逃れをする。事故調は徹底的な検証をすべきです。 》NHKニュース「「子どもの放射線量目安 不手際認める」

《 「あ、これ買おう」と昼間思った本が何だったか思い出せない。 》

 机上のメモ用紙には「フョードル ソログーブ 岩波文庫」やら「角川文庫 立原道造 詩集」やら「高木彬光 骸骨島」やら「スージー・クアトロ」やら。(じっと見つめて)思い出せ〜。思い出した。