明日から大阪のワイアートギャラリーで坂東壮一展。銅版画家の林由紀子さんは 馳せ参じるようだ。師匠だからなあ。
http://www.yart-gallery.co.jp/soichibando2014.html
《 1937年香川県に生まれた坂東さんは、少年の頃アルブレヒト・デューラーの 版画に出会い、独学で銅版画を制作してきた。 》
《 『夜の帳』銅版画 E.A. 360×233mm 1983年 ¥54,000(シート税込) 》
高校の美術の教科書、河北倫明・編『美術 1』光村図書出版1994年、34-35頁 「形を刻む、心に刻む」。35頁下段にジョージ=シーガル『赤シャツの三人』 銅版画、上段向かって右にアンディ=ウォーホル『ミック=ジャガー』シルク スクリーン、左に坂東壮一『夜の帳』銅版画。その左34頁にはアルブレヒト= デューラー『メランコリア』銅版画。坂東氏の両脇がデューラーとウォーホル。 すごい組み合わせだ。
坂東壮一氏からは、K美術館の開館祝いに、蔵書票六点を一つの紙に配した 手彩色銅版画をいただいた。清楚な美だ。静岡新聞に不定期に掲載した美術紹介で、 氏の銅版画を何回か掲載。銅版画のお葉書を十七通もいいただいた。なかには 手彩色の銅版画も。お宝。隣町の函南町のアトリエへも招待された。素敵な自動車と、 小体な、ステンドグラスなどさりげなく凝った心地よいアトリエ。
http://web.thn.jp/kbi/bando.htm
昔、坂東氏から依頼されて銅版画集の宣伝文を『版画芸術』111号(2001年3月) に掲載。再掲。
坂東壮一手彩色銅版画集『仮面の肖像』に寄せて
「仮面その清冽なる時の刻印」
私の記憶が確かなら、銅版画師・坂東壮一は
一九六○年代、あの喧騒と騒乱の時代の片隅で、
自らの内なる深海に潜む<創造>という怪物を、
か細い探照灯で捉え、その一面一面を机上の
鏡面のごとき銅板へ刻印していた。
その一面が「仮面」であった。
その「仮面」を今ここに手に持ち、そして
傍らに十枚ほどの「仮面の肖像」を置く。
右と左。そこに君臨する三十余年の歳月の隔たり。
人生という歳月の風化と深化の変転を経て、
仮面は一層凝縮され、今や深海からの一際
深い輝きを放つ・・・までに変貌した。
「仮面の肖像」は、坂東壮一の人生をその深奥から
照らす魂の内視鏡である。翻れば、それを手にする
人々には、多様な人生の局面を、その奥津城から
逆照射する、稀なる魔鏡と化す。
仮面であるがゆえに自我は失せ、自我の
深層に潜む自己を、痛ましいまでに露わにするのである。
「仮面の肖像」、それは赤裸々な肖像である。