「アヴァンギャルドなお笑い」

 昨日のお笑いで姫野カオルコの小説『受難』を連想。裏表紙の紹介から。

《 修道院で育った汚れなき乙女フランチェス子のオ×××に人面瘡がデキた!「お前はダメ女だ」と朝な夕なに 罵倒する人面瘡を、けなげにも”古賀さん”と呼んで共同生活をするフランチェス子の運命やいかに? 》

 小泉喜美子『殺人はお好き?』とはまるで違ったお笑い小説だ。海外ミステリのジョーク様式の見事な輸入に対し、 『受難』は新種のお笑いを創りだしている。四年前に感想を認めている。
 http://d.hatena.ne.jp/k-bijutukan/20120417

 『殺人はお好き?』は、『受難』と較べてみると確立した様式美だ。『受難』はアヴァンギャルド(懐かしい言葉だ)。 お笑い小説でもこれほどの違い(表現の幅)がある。文春文庫の解説で米原万里が書いている。『受難』を読んで。

《 とにかく、この日を境に、私は姫野カオルコの虜になった。 》

《 純文学と大衆文学との境界線はどんどん判然としなくなってきていて、分類そのものが無意味という気もするが、 それでも「いつかどこかで読んだような小説」を対象にするのが直木賞ならば、「今まで一度もお目にかかったことが ないような小説」を対象にするのが、芥川賞なのではなかったかしら。文体も内容も、「社会の趣味への平手打ち」 (マヤコフスキー)を喰らわす作品という点では、『受難』は純文学に分類される気がする。 》

 しかし、昨日書いたように、純文学はお笑いが好きではない。いや、苦手か? あるいは問題外。

《 それよりも何よりも一世紀近くを経て、十月革命がもたらした激変をはるかに上回るパラダイムそのものの変化を、 世界と私たち人間が被ったせいかもしれない。それを姫野カオルコは敏感に察知し作品化してくれている、 ということなのだろう。 》

 小泉喜美子『殺人はお好き?』は、様式美の秀作、姫野カオルコ『受難』はアヴァンギャルドな野心作だ。二冊には 半世紀近い隔たりがあるが、同時代への女性の挑戦作という意味でつながっている。

 『殺人はお好き?』の最終章は「さよなら、可愛い人」。もちろん、レイモンド・チャンドラーの傑作『 Farewell, My Lovely 』の訳だが、私は『さらば愛しき女よ』の訳題で親しんでいた。村上春樹の訳では『さよなら、愛しい人』。

 ネットの見聞。

《 【5年目の意味2】東日本大震災から5年になる。いつも記憶を薄れさせていいのかがメディアの決まり文句になる。 だから忘れていく。問題は、5年は業務上過失致死、文書毀棄などの刑事罰の時効の年に当たるという事。 不良債権処理問題の時と同じ。東電や経産省など原子力村の開き直りが始まっている。 》 金子勝
 https://twitter.com/masaru_kaneko/status/706268272723828736

《 システムって書いたけど、ITシステムならこれは常識だよね。1つ1つは人為的ミスでも、 同じ人為的ミスをする人が頻繁にいたら、システム自体をミスが起こらないように変えないといけない。 なのに、ミスが起こるたびに起こした人を責めて終わりにしようとしているのが「自己責任」主義の人なんだ。 》  Kumiko
 https://twitter.com/Kumiko_meru/status/705952480157282304

 ネットの拾いもの。

《 強引に消防法を改正、設置した聖火台に点火と同時にスタジアムに燃え移り全焼なんていいんじゃない? 》

《 さあ明日から確定申告だ。←往生際が悪い 》