美は醜をも呑み込む

 美しいの反対語は醜い、だろう。見苦しいでもいいかも。目をそむける、ではちょっと違うようだ。な、ところから着想。美しいと醜いが対語であるようには、 美と醜は対語になならない。美の本質は魅力である。目をそむけたくなるようなモノでも、ついつい見入って(魅入って)しまうモノがある。それが美。美しい、 醜いという二元論を超越した魔術的魅力を放つモノが美である。が、超越といえば聞こえが良いが、他の言い方では逸脱、規準外、埒外アウトサイダー、外道とも 呼ばれる、醜をも呑み込んでいる。それだから美は人を狂わせる魔術的力を有している。美は外界(下界)からやってくる、心身を危うくさせるじつに危険なモノ なのだ。ある種の人は、美しいだけでは物足りず、危険極まりない美を求める。そんな美といえども、誰にとってもそれが美であることはない。美の力の及ぶ限界は 自ずからある。美も老いる。ワシも老いる。

 ネット、いろいろ。

《 この間平井呈一訳の『ドラキュラ』が期待される雰囲気と違うと文句をつけている人がいたが、坪内逍遥訳でシェイクスピアを読むといい。 『アントニークレオパトラ』に出てくるクレオパトラは、一人称が「わし」だぞ、わし。 》 小森健太朗@相撲ミステリの人
 https://twitter.com/komorikentarou/status/978593487036628992

《 『実在への殺到』再読(精読)。これは強力な思想だ。人工知能やインターネットなどが高度に発達し人間の理性を超えたモノに関して新たな思想が 待望される時代に哲学と人類学を撚り合わせ探究の手を増強しながらモノそのものに関して二一世紀の知の到来に向けた思想の中軸になりうる道行きを示している 》  奥野 克巳
 https://twitter.com/berayung/status/978584221638733824

《 離散でなく交差交換、ホーリズムでなく部分的つながり、箱詰めでなく袋詰め、切断でなく入れ子状、客観的な対象と複数の主体でなく複数のパースペクティヴの 相互包摂。不変で同一の自然に対して複数の主体を想定する既存の西洋の近代知を根底的な場所から突き崩し新たな思想を打ち立てようとする躍動感 》 奥野 克巳
 https://twitter.com/berayung/status/978584823647256576