『飛鳥大和 美の巡礼』三(閑人亭日録)

 栗田勇『飛鳥大和 美の巡礼』新潮社1978年初版、「三 常世の国・黄泉の国」を読んだ。常世、黄泉、面白い。

《 もともと、世界観やイデオロギーは、一政府が、わずかな時代の期間に強制することによって、人人の情念を支配しきれるものではないことは、この度の世界戦争以後の 思想界の動きをみても明らかなことである。 》 43頁

《 一見、科学的合理的方法にみえても、文化の自律的運動をそれとして、生き矛盾した形のまますくいあげない傾向は、じつは、人間の精神的作業の領域を根こそぎ否定 する結果におちいっているのである。 》 43頁

《 世界イメージというとき、今日私たちは、日常的な生活を含む現世を思うが、古代人にあって、コスモスとは、当然のことながら、死と生の両者を含む世界でなければ ならなかった。なぜなら、生だけが世界なら、それは滅亡の一途をたどるだけで、農耕や誕生などの繁殖を保証するのは、むしろ、死と転生の構造でなければならなかった からである。 》49-50頁

《 しかし、いずれにせよ、死は、古代人の意識にあっては消滅ではなく、エネルギーと再生と豊穣をいみしていた。 》 54頁

《 つまり、古代日本に生きていた人々には、はっきりとしたイメージとしての世界が共同体のうちに生きていて、それを、たまたま手近な土地や岩や洞窟にあてはめたに すぎない。 》 55頁

 「四 浄土曼荼羅」を読んだ。勉強になる。

《 美的な存在は唯一のものなのである。 》 58頁

《 そして、なによりも、原画でしかえられないのは、触感というか、材質感というか、ふしぎな物の存在の手掛かりである。崩れ、剥落していても、それをも含めて かけがえのない質感というものを、私たちの感性は、まぎれもなく受けとめる。 》 60頁

《 だから、法隆寺の壁画が描かれた、その時代が、外来の影響で官能的であったとするのはあたらないのであって、むしろ、古墳時代から飛鳥時代を経て、洗練された 表現を仏像のうちに見出していった当然の経過ということができる。あえていうなら、そこに日本人の、仏教の受容にさいしての、汎神論的なアニミズムと、アニミズムの 根源にあるエロティシズムの傾向をみることができるであろう。 》 70頁

《 一般に、原始宗教的な時間の感覚は、繰返しみてきたように、四季の輪廻とそれにともなう、繁殖と死と転生という、植物や動物の自然のリズムのうちに、世界観を きずいてゆくので、歴史的な時間観とことなっていて、「永劫回帰」、すなわち、創造──破壊──運動──再創造というプロセスでとらえられるのがふつうである。 》  71頁

 梅雨入り。気温、20℃に届かず。

 ネット、うろうろ。

《 パパ活って父親になる準備のことかと思っていた。 》 津原泰水(やすみ)
https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1536209081996034049

《 途方も無い馬鹿の巣窟ですね、今の日本の権力層。
  少子化に壁ドン、大学で弥生会計、抗原検査とPCR検査は同精度、結果の出る研究に資金、GDP改竄、選挙違反は黙認、財務省の公金横領も黙認、 でも老人が百円のパン盗難で逮捕。
  虚構新聞も逃げ出すレベル。 》 m-take
https://twitter.com/takeonomado/status/1536341192270417922

《 「アンリ・ベルクソン 時間と自由」/松岡正剛 》 松岡正剛の千夜千冊 1212夜
https://1000ya.isis.ne.jp/1212.html

《 「もし『物質と記憶』第四章のうちにsitusの論理の延長があるとするなら、それは想像力=構造力の機能をいわは痙攣させる持続以外のどこに、出来事の場所としての 運動以外のどこに、見出されるだろうか」(『ベルクソン 反時代的哲学』)これ、単純に行為に解消されてしまうわけでもない運動なんだろうな 》 清水高志
https://twitter.com/omnivalence/status/1535958942018605056
 藤田尚志『ベルクソン 反時代的哲学』勁草書房
 https://www.keisoshobo.co.jp/book/b606132.html

《 外的合目的性と内的合目的性についてカントが考えたことを、ベルクソンが敢えて恣意的に誤読するあたりについての藤田本の読みは鋭く、そしてここにまさに ライプニッツも絡んでくるのでこのあたり(p366〜367)はこの本の一つの勘所で、しかも進化の問題にも繋がるので米田本とも関わってくる。 》 清水高志
https://twitter.com/omnivalence/status/1535995351702081536
 米田翼『生ける物質 アンリ・ベルクソンと生命個体化の思想』青土社
 http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3688

《 他者は、ぼんやりと概念化される。日常もまた過ごし方によってはぼんやりと概念化される。概念は置換可能なので、簡単に上書きもされる。そのストーリーの解釈が 上書きされる。その新たな解釈はつねに恣意的なものなのだが、新たな視界と誤解されていく。「ぼんやり」の外部にしか新たな視界はない。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1536257337287004160

《 哲学研究者は、同じ一つの概念が、哲学者によって、微妙にあるいは大きく異なる意味を持つことを当然の前提としています。 》 千葉雅也
https://twitter.com/masayachiba/status/1536305639391379456