美の呪力

 岡本太郎「美の呪力」新潮文庫読了。最初からぐんぐん飛ばしていて、持つかなあ、という危惧もなんのその、後半はさらに勢いづく。凄いわ。特に印象的な箇所を少し引用。

《爆発力と内に凝集する求心力とが拮抗し、引き裂かれた姿だ。》192頁

《ひどく悲劇的であり、また逆に言いようなく無邪気な表情である。》193頁

《まことに大地と天空は永遠のものであるのに、火と水の激しくはかない性は人間のいのちを暗示し、よろこび、悲しみの波動をおおい、くぐり抜けてゆく。》193頁

《祭りは終った。ふと見上げると、黒々としたに峰の上に、中天高く月がのぼっていた。深い森の木立に、光の筋を真上からつき刺して。》208頁

《火と水のメタモルフォーゼ。その幻想の世界に、忽然と岩があらわれたのである。》211頁

《ひるは世界であり、夜は宇宙だ。》215頁

《彼自身が夜だったからだ。彼は絵描きとしてというより、人間として夜だったのだ。今日なおゴッホはわれわれに夜をつきつけている。》220頁

《もう今日、絵の時代は終った、と言われる。しかし、私に言わせれば、本質的にそんな時代ははじめから無かったのだと極言したいのだが。その虚の運命があまりにもあらわである現在、どんな芸当も空しく過ぎ去る。ポップ、オプティカルアート、観念芸術……。》231頁

 ブックオフ長泉店で二冊。横光利一「家族会議」新潮文庫1993年35刷、ポール・モラン「シャネル 人生を語る」中公文庫 2007年初版、計210円。前者は復刊。後者は「獅子座の女シャネル」という既訳の、山田登世子による新訳。「訳者あとがき」から。

《ただ、誤訳はすべての翻訳の避けえないところであるにしても、この既訳書には人名や地名など固有名詞の恣意的省略が多く、時にそれが行文にわたる箇所もあるので、新訳は原文に忠実な訳を心がけた。改行も段落もすべて原文どおりである。》

 山田登世子「娼婦 誘惑のディスクール日本文芸社1991年は面白かった記憶。