文字通りの大暑。先だって行った熱海の某M美術館での二十四節季の説明パネルには大暑に「だいしょ」とルビ。辞書には「だいしょ」なんてねえぞ。午後四時雷雨。一時間もせずに止む。涼しい風。ネットのつぶやき。
《 恋愛ドラマの別れの場面で降るのが夕立、災害が起きたらゲリラ豪雨。 》
夏になると思い出せない言葉、「暑気払い」。なぜ忘れてしまうんだろう。「悪魔祓い」ならすぐに出てくるのに。今回もウェブサイトを見て気づき、即メモ。
好みだけを見聞していると、好みを超えた凄いものに気づかなくなる(持論)。好みでなくても凄い(らしい)ものにもしっかり目を配らないといけない。
王紅花女史から現代短歌文庫117『王紅花歌集』砂子屋書房2013年初版を恵まれる。王紅花さんの短歌は好みではない。酔えない、陶酔できない。醒め、冷めてしまう。そんな歌を作る人はほかには寡聞にして知らない。彼女の短歌は、狭隘に陥りがちな私の短歌への視野を遠慮なく拡げてくれる。
佐佐木幸綱は収録された歌集『夏暦』の解説に書いている。
《 本書にはペーソスは皆無である。 》
《 作歌の現場の問題としてとらえるとき、この、〈本当のもの〉の空ろさが見えてしまう目はまことにやっかいな代物である。本書には、身も蓋もないかたちで〈本当〉がうたわれた、まことに空ろな歌が散見する。 》
《 本書で私が一番好きな歌は次の歌である。
藤棚の下にねむりていてし犬が仲間を連れて森に来ており 》
収録されたエッセイに紹介されている短歌から。
《 たちまちに快楽はすぎて眠るべく泣くべく白きシーツひきあぐ 阿部美智子
秋蝉のひとつしづかに鳴き澄みて午睡の夢をさみしく飾る 松本勝貴
君あやめたき思いひとつをつらぬいて積乱雲の街をぬけたり 佐藤よしみ 》
「快楽」は「けらく」と読む。この三歌人、歌集を気に入って、以来年賀状を交わしている。阿部さんと松本氏は電話で話したこともお目にかかったこともない。佐藤さんは三十年ほど前、ある集まりで言葉を交わしたのみ。
ネットの見聞。
《 二院制の本義は選挙制度も議員の質も異なる議会を併存させることで、一時的に支持を得た政権党が暴走することを抑止することにあります。 》 内田樹
《 二院制は「なかなかことが決まらない」ために作られた制度、「ねじれ」を常態とする制度制度です。政権与党の発議する法律が効率的に採決されないことを政府が愚痴るのは当然ですが、メディアが「ねじれ解消」をあたかも価値中立的な政治用語のように使うのは不誠実です。》 内田樹
《 二院制の本義を否定することに政治家もメディアも躍起となっているのは、人々が政治過程をも「効率」と「コスト」を基準に論じるようになったからです。長い時間をかけて適切な政策を選択することより、スピーディに、異論を一蹴してことを決することの方が「いいこと」だと思っているのです。 》 内田樹
ネットの拾いもの。
《 心臓と書こうとして晋三と変換したわたしのぱそこんは何ものかに魂を売ったのか。 》
《 神託銀行 》