『 寺山修司青春歌集 』

 一昨日の引用を再掲。

《 しかし、一九八○年代も半ばとなり、バブル前夜の楽天的な気分がそんな陰りを一掃してしまうと、 気づかぬうちに、いつのまにか見かけなくなくなっていた。 》 椹木野衣「味戸ケイコ 雑誌 『終末から』表紙絵」 (『 日本美術全集 第19巻 』)

 椹木野衣の美術と社会との関わりへの視線から、一昨日の記事を書いたのだけれど、何かが 引っかかっていた。何だか気がついた。寺山修司だ。彼の短歌だ。『寺山修司青春歌集』角川文庫 1972年初版を再び開いた。中井英夫の名解説が読ませる。ゴシック体の章題は「したたる美酒」 「”火の継走”」そして「眠れゴーレム」。見事な構成だ。寺山修司は1971年に『全歌集』を出し、 その跋で「歌のわかれ」をあいまいに書いているという。

《 歌のわかれをしたわではないのだが、いつの間にか歌を書かなくなってしまった。 》

 その最後の歌集『田園に死す』1965年では、例えば一昨日に採り上げた三上寛の歌の背景となる 青森の暗い風景が描かれている。それは太宰治とはまるで違った風景だけれども、太宰の陰画として 三上寛寺山修司を、ふと思う。彼らの風土の根は同じ。三上寛がデビューする前に寺山修司はその 世界表現から抜けだしていた? いや、「歌のわかれ」はしたけれども、何年か後、映画で戻ってきた。 その寺山修司が注目しバックバンドの名前まで考えたのが、「語り女」松田晴世。寺山とは異なった 情念の世界を彼女は歌い、語った。松田晴世に付きそって寺山修司に会った。シャイな人だった。
 『寺山修司青春歌集』角川文庫巻末、寺山修司の「後記」の日付は「一二月一○日」。中井英夫の 命日だ。寺山修司1983年没(中井英夫が弔辞)、松田晴世1986年没、中井英夫1993年没。時は流れた。 本とレコードが遺った。そして本とレコードは世紀を越えた。
 http://sound.jp/haruyo/
 http://www.geocities.jp/pneuma_jp/Haruyo.html

 ネットの見聞。

 知人女性が源兵衛川・水の苑緑地のキノコをブログに載せた。
 http://blog.goo.ne.jp/tsuruchan-chi/e/4d8d14192c0c03a3bf0db5d1af3d4e29

《 マイナンバー制って安倍政権の「1984的ディストピア」まるだしのベタな政策ですね。 こんなにバカなアイディアが役所からほいほい出てくるのは「安倍政権下でしか『こんな法案』 通るはずがないから、今のうちだ!」というので官僚たちがやっつけ仕事で起案しているからでしょう。 》  内田樹

《 パンツまで脱いだらコマ族の歓迎の舞が始まった 》
 http://wotopi.jp/archives/26528

 ネットの拾いもの。

《 【日本三大ろくでなし】 憎みきれないろくでなし、ろくでなしブルース、ろくでなし子。 》