『現代日本文学大系 78 中村光夫 臼井吉見 唐木順三 竹内好 集』筑摩書房1979年 6刷の唐木順三「鴨長明」を読んだ。昭和三十年の発表。見事な論文だ。鴨長明の人柄と 思考の変遷が具体的に浮き彫りにされている。その時代相までが鮮やかに浮かんでくる。 一行の乱れもない引き締まった文章、一気に読了。まあ、長いものではないが。
《 長明には定家のやうな詩歌の独立世界はない。またそのやうな位置も境位もない。 然し定家には欠けてゐて長明に濃く出てゐるのは歴史の感覚である。単に定家との比較に おいてではない。長明ほどに歴史に対する鋭敏な感覚をもつてゐた者を他に見ない。 》
《 定家には「すでに無く」「いまだ無い」の間は理解されずに終つた。無の契機が 入りこむ余地はなかつたのである。 》
《 用なきものの用は長明には、或は長明時代には自覚されるまでに至つてゐない。 無から有への方向はまだひらかれてゐないのである。有から無への傾斜が著しい時代である。 》
《 形をとつてあらはれるものと、形の奥にかくれてゐるものとの均衡、少い詞と深い心との 調和の上に幽玄があると彼はゐふ。 》
26日(日)にあげた呉一騏氏の水墨画の感想「 暁闇の源光 」を連想する。
冬物衣料を洗濯したついでに本棚の棚に掛けてある味戸ケイコ、木葉井悦子、福山知佐子 さんたちの絵を壁に掛ける。あらあ、このほうがいい。林由紀子さんの手彩色銅版画は額を 交換。あらあ、このほうがいい。やってみなければわからないことばかり。
ブックオフ函南店へ自転車で行く。文庫を三冊。高木彬光『神津恭介の復活』光文社文庫 2012年初版、山前譲・編『鉄ミス倶楽部 東海道新幹線50』光文社文庫2014年初版、パブロ・ カザルス『鳥の歌』ちくま文庫1996年初版、計324円。しばらく通らないうちに眩しい新緑。 季節はすばやく過ぎてゆく。
ネットの見聞。
《 留まることのない時間の流れのなかで、ビジネスも刻々と動き、絶え間なく変化をしている。 そもそも、ビジネスを含めたすべての人間の営みは、“いま、ここ”の一点のみで成立している わけでなく、過去に起きた数多の事柄の、結果のひとつだ。だからこそ、過去に何があったのかを 把握しておくことには、大きな意味がある。 》 漆原直行「億万長者の変遷から見えてくる 日本経済の歩み」
http://hbol.jp/36316
《 この展覧会は、だから、たんに偉大なモデルを広く回顧した展覧会には留まらない。 率直な印象としては、とてつもなく広い場所を借りた、「降霊術」を思わせる。 》 椹木野衣 「山口小夜子展」
http://www.sankeibiz.jp/express/news/150427/exg1504271020001-n4.htm
《 「身の程を知る人間」は、おのれの存在の意味や重要性を、個人としての達成によってではなく、 自分が属する集団がなしとげたことを通じて考量する。
それができるのが「大人」である。 》 内田樹「旦那芸について」
http://blog.tatsuru.com/2015/04/27_1302.php
ネットの拾いもの。
《 ここ数日,野菜を瓶詰めすると細菌が増殖する云々の話題がよく流れてくるが, そもそもなぜサラダを瓶に詰めたがるのか。瓶詰地獄なのか。アヤ子のなやましい瞳が, 神様のような悲しみと悪魔のようなホホエミとを別々に籠めて,いつまでもいつまでも私を, ジイッと見つめているのか。 》
夢野久作「瓶詰の地獄」 http://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2381_13352.html
《 「20代見た目、30代性格、40以降は内臓勝負」「70以降は施設選び」 》