資生堂の四十年ほど前のCM『ゆれる、まなざし』1976年の真行寺君枝は、今もって鮮烈な記憶。
https://www.youtube.com/watch?v=_woKnaxo5SM
彼女の目力に我が眼が釘付け状態だった。そして心の何かが変わった。世界の更新、とでも言うか。 視野が、世界がぐっと(強引に)開かれた。昨日の「関係AB」にならえば、関係が変わってしまった。 そこに美があったから、と人は言うかもしれない。が、私はそこに美があるのではなく、関係の変化が 美の本質的な作用だと思う。美というモノは存在しない。関係の変化を引き起こす作用が、美だと思う。 ま、これは一晩考えてのきょうの仮説。美とは何か、とその存在を探究しても、雲をつかむようなもの。
では、関係とは何か、とその定義を要求する人があろう。だが、定義、概念を固定化しようとすると、 現象の本質がするっと抜け落ちてしまう、と思う。定義、概念の厳密化は、生き生きと変動、生成する 世界を死の世界へと引きずり込むだけだろう。曖昧さこそが重要。
美の本質は関係=知覚の変動にある、と思う。自然も社会も地殻変動を起こしつつあると感じられる昨今、 美術の世界も近く、知覚変動が起きる予感。
「まなざし」といえば味戸ケイコさんの絵。そのまなざしは、ゆれない。ひたすらに虚空へ向いている。
昨晩、故内田公雄から生前に保管を依頼されていた絵画数十点を、遺族が引き取りに来た。 三回に分けて搬出。ウェブサイトは記録として残す。
http://web.thn.jp/kbi/utida1.htm
待つ間、味戸ケイコさんの絵を鑑賞。額が残る『あのこがみえる』『わたしのいもうと』『夜くる鳥』 の原画は去年、青梅市の図書館で展示のため、味戸さんへ返送。図書館には大勢の人が見に来たという。 青梅市立美術館は企画展示を拒否した。味戸さんの出身地、北海道立函館美術館も拒否。 それで市内の画廊で味戸展。鉛筆画イラストへの偏見を感じた。そんなことがあったので、 『日本美術全集 第19巻』小学館の椹木野衣氏には感激、感謝。ああ、本屋に本はまだ届かない。
昼下がり、源兵衛川最上流部の水辺で流れる水に足を浸す。冷たく気持ちいい。カワセミが水面を すーっと下り、上ってゆく。カモが三羽、川を下ってきて対岸の草むらに首を突っ込んでいる。まったり。
ブックオフ長泉店で二冊。小松左京『召集令状』角川文庫1995年初版、戸部良一ほか『失敗の本質』 中公文庫2009年40刷、計216円。
ネットの拾いもの。
《 安倍の組閣「じゃあ、ぼくはゲッベルス」「あたしはルドルフ・ヘスよ」と虎視眈々としてる自民党議員。 「おれはロンメル将軍だ」←プラモ馬鹿。 》
《 火起こし器で火を付けられる小学生は全体のわずか2%で、3500年前に比べると大きく下回りました。 これだから近頃の若いモンは……。 》
《 炎上すれば、直ぐ灰だ、新聞紙。 》