飯田善國『彫刻家 創造への出発』岩波新書1991年初版を昨日引用して気になり、久しぶりに再読。 これはいい。読書の悦楽=共感と発見、蒙を啓かれる喜びがある。なりゆきで再読して正解。付箋が草むらのよう。 今回最も印象深かったのは1958年の秋、ヴェネチア・ビエンナーレでのヴォルス WOLS の作品との出合い。
《 ヴォルスが何者かまったく知らなかったが、その作品は、おそろしい力で迫ってきた。今まで見た どの作家にもない、何か神秘的な破壊力をもっていた。 》 173-174頁
以降十頁にわたってヴォルスのことが綴られる。
《 二時間ほど私はヴォルスの部屋にいた。(中略)その二時間ほどの間、誰ひとりその部屋に 入ってこなかった。 》 177頁
《 ヴォルスが視たものを言葉で解説することはできない。 》 182頁
《 その状態、その心的状況は、ひとつの危機なのかも知れないが、何やら、痺れるような快感を ともなってもいた。 》 183頁
《 私は心のなかで思いつづけていた。どんなにもがいても、あがいても、ヴォルスが実現した 世界破壊のヴィジョンには及ばないのだ。それでも、やってみる価値はあるのだ。 》 186頁
ヘンリ・ムーアの彫刻に出合って飯田善國は再び彫刻への道を歩み始める。それからの言葉が 心深くに響く。
《 しかし、存在はふだん、それを意識したがらない。不安を意識すること、またはさせられること自体、 あまり愉しいことではないから……。 》 207頁
《 今度は、それがどの方角からくるのかがわかった。それは、路上からではなく、後方、斜め上の、 遥かな天空のあたりから私をじっと視つめている視線であった。 》 217頁
《 誰からも認知されぬ他者の眼で、地上の人間を眺めて見ると、人間が互いにいかに孤独であるかが、 はっきりと見えてくる。 》218頁
これらの言葉が、味戸ケイコさんの初期の絵につながる。何度も引用する『日本美術全集 第19巻 拡張する戦後美術』、味戸ケイコさんの絵への椹木野衣の解説。
《 そしてこの漆黒の闇。その底はいったいどこへ続いているのだろう。 》
《 しかしそれゆえ、すべての人の心の奥底に眠る「虚ろな眼の少女」に通じているかのようでもある。 》
私にとってその女性の眼差しは「虚ろな眼」ではなく、その闇の後方遙か彼方から来ている。吉原幸子・文 『クモンの空』1977年の表紙絵の原画を横に置いて、そんなことを思った。
飯田善國『彫刻家 創造への出発』は、優れた絵画論、彫刻論として私にとっては名著だ。他の美術本を措いて、 これは再び読みたくなった。再読したくなる本が増えてしまう。初読の機会を奪われる本のなんと多いことか。
午後、ビュッフェ美術館で催されているルドルフ・シュタイナー展へ内野まゆみさんと行く。「期待していなかったけど、意外と面白かった」と、内野さん。二人とも立体作品や建築物(の写真)にぐっと惹かれた。
ネットの見聞。
《 チェルノブイリから福島へ 》 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/p/nukyoko/2011/04/_17.html
《 広範囲の放射能汚染まざまざ 本紙調査 》 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201510/CK2015100902000143.html
《 石田純一が安保法制反対で「圧力」を受けていた…テレビ番組、CMの出演キャンセル、厳重注意も 》 LITERA
http://lite-ra.com/2015/10/post-1565.html
《 「安保にとって本当に最も必要なのは外交力。
安倍政権が1番不得意な部分です。」 山本太郎 》 LITERA
http://lite-ra.com/2015/10/post-1548_4.html
《 世界の中心で輝く国になるのは簡単なことなんだよ。今までどおり九条を遵守して戦争放棄。 バラマキに充てた金で難民救済。ヘイトを取り締まる。今は正反対のことをやっている。 名(誇り)を捨てて実(金)をとっているだけ。 》 藤岡真
https://twitter.com/fujiokashin
《 「週刊文春」が春画特集掲載で「会社の伝統貶めた」と編集長に休養処分! 文藝春秋・松井社長の時代錯誤に唖然 》 LITERA
http://lite-ra.com/2015/10/post-1566.html
ネットの拾いもの。
《 こうなったらあれだ、かねてより『芸術新潮』でもっとえげつない春画特集を組んできた蓄積を活かし、 来週の『週刊新潮』で「文春よ、これが春画だ!」というグラビアをやるっきゃない。 》