清水高志『実在への殺到 Real Rush』水声社2017年初版は、肉体労働で読む気力が衰えるが、気力を奮って少し読む。
《 ──かくして、1社会変革を志す思想から、2文化相対主義的なポスト・モダン、そしてさらに3思弁において実在を考えることへ、と現代哲学の舞台は 移りつつある。 》 88頁
《 ポスト構造主義までの「差異の哲学」は、結局のところ「主体化されたモノ」についてしか語っておらず、《強い相関主義》を強化する役割しか果たして いないのだ。 》 89頁
《 このように《事実性》のうちにある偶然性が、絶体的なものについての知の端緒であることをメイヤスーは強調したが、そもそもその偶然性ですら、 実際には私たちにとってのものでしかあり得ず、絶対性とは言い難いのではないだろうか。 》 92頁
《 そしてこの連接や変化の《事実性》と、そこからの事後性において考えることが、コギトが懐疑の果てになお否定され得なかったのとまさに同じように、 つねに否定され得ないのを見いだしたこと、ここにメイヤスーの発見の核心があるのだ。
《事実性》とは、それを考える主体に先立っており、しかも主体でないとも言えないものである。 》 96-97頁
《 メイヤスーの思考が、現代哲学の新しい時代を開く起爆剤となったことは、今日もはや疑い得ない。 》 101頁
この引用では何が何やらワカラナイだろうなあ。私自身わからないが、気になったので引用している。
午後、昨日の続きで松毛(灰塚)川の放置竹林の伐採作業へ。都留文科大の学生たちと協働作業。昨日は水のペットボトル500ml二本を持参。全然足りなかった。 きょうは三本。足りた。
夕方、近所の本屋で椹木野衣『震美術論』美術出版社2017年初版帯付を受け取る。ついでに目に止まった『週刊 ニッポンの国宝100 1』小学館を買う。本よりも オマケのほうが分厚い。
ネット、いろいろ。
《 昔、卵かけご飯を炒めてみたらまったく新しい料理ができるんじゃ…?と突然ひらめいてやってみたらチャーハンになったときが 自分はひとよりも頭が悪いことに気づけたときでした。 》 シモダ テツヤ
https://twitter.com/shimoda4md/status/906684178699128832